「露堂々」
昨年の7月に剣道家の本田先生がエリザベスさんにプレゼントした手ぬぐいに書かれていた言葉です。
一目見て禅語だな(‥どこかで見たことがある?)とは分かったのですが意味が分からない‥。エリザベスさんに「どのような意味ですか?」と尋ねられたのですが、恥ずかしながら答えることができませんでした。
稽古終了後に禅語大辞典で調べてみると「露堂々」での掲載はない。
なぜ?
よくよく見てみると「明歴々露堂々」の文字を発見!
多分、この言葉の略語だなと納得!
「明歴々露堂々」(めいれきれき ろどうどう)
※“みょうれきれき”と読む場合もあり
※類義語として「明々歴々露堂々」(明々:非常に明るい様)
「歴々と明らかで堂々と露(あらわ)れている」の意で、「一点も覆い隠すことなく、明らかに露れている」ということ。
真理は奥深いところに隠れていて、誰もが簡単に見られるものではないと考えられがちであるが、実際は、全くあからさまであり、隠すところなど微塵もない。それが見えないとすれば、見ようとしないだけか、目が曇っているだけにすぎない、ということ。
また、「山川草木悉皆成仏、いわゆる大自然、すべては仏法の貴い姿。少しも、嘘や隠し事がなく目の前に堂々と現われている真理を無心に眺めることの大切さに気づくことが尊い」、
‥という表現もありましたが、私は、「真理・仏法というものは、目に見えないもので高尚なものだと考えられがちだがそうではない。真理・仏法というものは、今、ここに明歴々に堂々と現(露、表)れているのですよ」ということだと思います。そして、この意味が転じて、「個々人の性に応じてありのまま(無為自然)に堂々と生きること」というニュアンスの指針になったのではないでしょうか。
この禅語、「心の余計な働き」と「身体の無駄な動き」を嫌う武道にはピッタリだと思います。高段者の方でも、「なんでそんな余計な動きをするのかな…」と残念に思うこともありますが、この場合、自分を飾ろうとする心が身体の動きに不自然さを与えているように思います。
ただ演武は別です。
所謂デモンストレーションなので、あくまで表現の一手法というところ。
このような時代です。武の本質とは異なりますが、それを軽くこなせる懐の深さはあったほうがよさそうに思います。
しかし合気道は本来、心は明鏡止水、身体は居着きを無くし、身体能力が最大限に発揮できる状態を求める武道なので、虚飾はそのことに逆行してしまう‥ということから、自身を飾る心の表現が所作に現れると、まだ俗っ気が抜けてないのか何か余計な色がついているように見えてどこか感心できません‥。
やはり、その人の天命に応じた環境の中で、余計な物を廃し、無為自然に堂々とその人個人の力量を表していくことが大事だと思います。
「明歴々露堂々」、
武道など、道を求めるものは、まずは虚飾を廃すことから始めるべきだと思います。このため、この言葉は武道の稽古指針にはもってこいですね。剣道界ではよく使用されているようですが、合気道にもとてもよい指針になると思います。
【リンク】
◇宮崎合気道会グループ「合気道元徳会」
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◇合気道元徳会道場長コラム「サムライハート」
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