「私達は、今も一歩一歩死に向かって行進している存在‥」。
これだけは間違いのない真理、よっぽど暢気な人でなければ、一度は考えたことがあるはすです。
‥しかし、なかなか実感が伴わないために忘れがちですよね。
さて、二十歳過ぎの頃の挫折以来、つい最近まで、いつ死んでもいいと思っていました。
その挫折を乗り越えようと悩みに悩み、苦しんだ結果、掴み取ったこの世を楽に生き抜く方法、それは、「生死に執着しない生き方」でした。
様々な悩み、それは、究極的に生死に行き当たることに気づいたからです。
このため、余計な物は持たない、どんな人にでもできるだけ親切のありったけをしておく、葬式代程度は貯金しておく、守るべき物(者)は最低限、義理とつきあいはほどほどに、人に見せて恥ずかしいものは所有しない等々、現在も実践を続けています。
結果、様々な意味でのチキンレースには負けたことがありません。
そんな中、30代初期の頃、まだ少しだけ欲が残っていると気づきました。
それは、「いつ死んでもいいけど、犬死にはいやだな」ということ。
「犬死にはいやだ。せめて子犬を助けた‥とか、なにがしかの理由が欲しい」、そう、思っていました。
まだ、名誉欲をぬぐい去ることが出来ていなかったようです。
しかし、これもどうにか工夫して乗り越えたつもりでした。
でも、先日、「これは未だ死ねないな‥」と感じることがあり、再び死というものを意識するようになりました。
死という存在に対する意味と回答は、既に私の中ではできています。
怖いというのではなく、「そうなったら寂しいな」という感じでしょうか。
ただ、もう少し人生を楽しみたくなったというのが本当のところ。
「まずいな-(笑)、せっかく乗り越えてきたのに‥。でも、まぁいいか」(ちょっとした開き直り)という感じです。
そこで気がつきました。
それは、「死というものに対して、気楽になっている」ということ。
「生死に執着しないというのは、いつ死んでもいいということではなく、生にも、死にも、全く執着しないこと」が正解だったようです。
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