宮崎県西都市を中心に活動している宮崎合気道会グループ「合気道元徳会」道場長による武道コラム - サムライハートSamurai Heart。私達は、合気道の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたいと考えています。興味のある方は、ぜひ一度見学にお越しください。詳細は、合気道元徳会のホームページをご覧ください。

2020年7月29日水曜日

心に剣を持て!(稽古休止中の一人稽古について)

 稽古休止中の課題です。  
  
 それは、「心に剣を持ってほしい」ということ。
  
 合気道や武道の稽古は、道場だけでなく、社会生活で行ってこそ意味があります。私は、先輩方にそう習いました。経験上、とても有益であり、皆さんにも知っていてほしいと切に願います。
  
 さて、合気道は剣の理合を体術に表したものですが、要は今まで学んだ合気道の剣の理合を社会生活で実践するのです。社会に出れば、理不尽な仕打ちを受けることや、意地の悪い人との交流も避けられません。正直、辛いことも多々あります。  
  
 我々、武道を学んできた者は、心に剣を持ち、辛いことには心の体捌きで、入身・転換をなしつつ、自身を傷つけない工夫が必要です。 もちろん、社会生活は真剣に送るべきでしょう。しかし、真面目すぎても具合が悪い、嫌な人物との接触は、心の剣で遊んでいる気構えで対処するのです。余計なストレスがなくなり、よいものですよ。  
 
 「‥うーん、今日は一本とられた失敗失敗、よし、次は頑張ろう!」  この程度の心境で、相手とのやりとりを楽しみながら社会生活を送るのです。  
 
 そして、心は絶対に「居着かない」こと。  
 
 「居着く」とは、物理的に動きが鈍っている状態のことです。軽快な歩法・ステップが出来なくなっている状態。
 
 「心が居着く」とは、物事を深く考えすぎて、既に精神を病んでいる状態です。
 
 心の本性は、「コロコロと転がるものだから、心という」、心の居着いた状態は、心が持つ本来の働きを失った状態‥。 
 
 こうならないために、心の剣で戦い(社会生活)を楽しむのです。  武道に道具はいらないのです。  
 
 「心に剣を持つ!」、これだけで立派な武道家になれます。  
 
  具体的には以下のとおり。
 
 
『礼』
  「立場をわきまえ、不快感を与えないこと」、「形式よりも気持ちが大事」が基本と心得ること。また、社会人としての基本的なマナーを全て一通りは学んでおきましょう。組織に属する者は、いくら実力があっても礼を欠く場合は、現代版の遠島・島送りは当たり前に行われます。  
  
 礼を分かりやすく示せば、5つのS、つまり「5S(ファイブエス)」にまとめられます。これは、「スピード、スマイル、誠意、スマート、スタディ」の頭文字のSをまとめたもの。これを軸に仕事に従事すれば間違いなし。誠意が中心にあることを忘れずに‥。詳細は自身で体験し理解しましょう。
  
  『構え』  
 心、頭脳、身体の最大限の能力を発揮する鍵は姿勢にある。常に姿勢を正して、最大限の能力を発揮できる体勢を維持し、様々な困難を突破しましょう。また、これからは、自身の天命とは何かを自覚することに努めて、それぞれの「心構え」を練り上げましょう。
  
  『歩法』  
 絶対に居着かないこと。心が居着いた状態がいわゆる鬱やノイローゼと呼ばれる状態。また、身体が軽快なステップが踏めないようでは重用されません。そのためには、心と身体のどちらも居着かせない工夫を怠らないことが大切です。
  
  『間合い』  
 他人との間合い間隔を磨くことは大事。「親切とお節介の違い」の理解が間合い感覚。このため、踏み込み過ぎず、離れ過ぎないことが肝要。「軒先を貸したら母屋を乗っ取られた」という例え話は、この間合い間隔の欠如が原因。自分なりのちょうどよい間合い間隔を掴みましょう。
  
  『入身』  
 問題が発生したら、逃げずに素早く入身すること。逃げて下がるほど負けに近づくのは武術界の常識です。 『転換・転身』  問題に応じて柔軟に対応すること。
 真っ直ぐ対応してダメなら引いてみる。引いてダメなら回してみる。回せないなら自分が回れ。時と場合によっては、「回答を出さない回答」も一つの回答。常に柔軟な姿勢が必要。しかし、ベテランになり実力も備われば、「押さば押せ、引かば押せ」(相撲の極意)で攻め続けることもよいと思います。
 
  『技』  
 力を使わずに仕事するのが理想。そうなるまでは、楷書の段階なので、きっちりと正確に誤りのないよう気を抜かずに仕事すること。最終的には、意識せず、ぶつからず、サラサラと流麗な仕事を目指しましょう。
  
『残心』  
 仕事の最終チェックは怠らないこと。これは、答案用紙の再チェックと同じことなので、最終的にミスをすればその仕事の意味がなくなることもあるので注意しましょう。
  
  『見切り』  
 自身に全く手落ちがなく、何の因果か分からない場合でも、様々な不幸が廻ってくる場合があります。厳密に言えば、これも本人の業(ごう)なのですが、なかなかそう思えないことも多いですよね。このような場合は、いくら考えても結論はでませんので、ある程度のところで「見切る」ことができないと自身を傷つけてしまいます。  
 
 しかし、人のせいにしては絶対ダメ。消えかかっている業に新たな業を付け加えることになります。  自身に恥じるところがなければ、「今回、自分自身、若しくは家族等関係者の様々な思念・行動・因縁・因果により、このような事態に陥ってしまったが、これもいったん起こってしまえばその悪因が消えてしまう証拠だろう。これくらいで済んでよかったな~。自分はなんてラッキーなんだ(笑)」と思って、それ以上深く考えないようにし ましょう。これも大切な見切りです。
 
  「何かあるのが人生」です。  困難がふりかかってきたら、びくびくと臆病になるのではなく、これも合気道の修行だと思って、『この困難をどう料理してやろうか!!』ぐらいの気持ちに切り替えて今を乗り切るのです。  
 
 そして最後が『気力』!  この『気力』が一番大事です。そして、この気力を養う方法は、いつもやっている『呼吸法』。  
 
 人生を生き抜くための武器はすべて与えてあります。  
 
 今まで学んだことは決して無駄にならないと信じています。 できるだけ早期に稽古が再開できることを祈りつつ‥。   
 
 合気道元徳会道場長 小谷達也
 
 
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2020年6月27日土曜日

合気道と気品

 剣道の持田範士が残された「剣道と気品」という文章があります。

 合気道家にも必見の文章だと思いますので紹介します。


 「剣道と気品」

  剣道を修行する上に、種々の目標を立てることができようと思う。昔から「大強速軽」ということがあるが、これなども誠によい教えで、大きい、強い、速い、軽妙な剣、それぞれ修行の目標となるものである。

 すなわちこの意味から「気品」ということも剣道修行上の大切な一目標になろうかと思う。

  強いということももちろん重要なことであるが、強いだけでは物足らない。「強い剣道」であると共に「気品ある剣道」でありたいものである。

 あの人の剣道に「気品」があるとか無いとかは誰にも自然に感じられるものであるが、然らばその気品とはどんなものであるかという段になると、容易に言い表し難い。気を花に譬うれば、気品はその薫りのようなものではあるまいか、あるいは心を光になぞらえれば、気品はその映ろいのようなものではあるまいかと思う。

 …持田範士が剣道に何を求めていたのかがよく解る文章ですね。
 以前に、インターネットで確認しましたが、確かに気品溢れる剣道をされています。


  俗っぽい表現ですが、まさに「横綱剣道」…。

  最近では、中国意拳の姚兄弟も気品溢れる動きをされています。

  姿勢や心構えが風格として表れるのも一つの理由でしょう。

  理由はどうあれ、このような方はかっこいいですね。憧れます。

 さて、話は変わりますが、幕末における剣術の三大流派といえば、北辰一刀流、神道無念流、鏡心明智流になるのでしょうか。

 北辰一刀流は坂本龍馬、

  神道無念流は桂小五郎(木戸孝允)や中山博道、

 そして、鏡心明智流は武市半平太が有名ですね。

 今回は鏡心明智流についての話ですが、この流派は、江戸三大道場にひとつに数えられる士学館において桃井春蔵によって教授された流派です。

  周囲からは位の桃井と呼称され、その剣風には気品・気位などの品位が満ちていたと言われています。

 その鏡心明智流、何らかの事情から神道無念流とそれぞれ10人程の人数を出して対抗戦を行うことになりました。

 残念なことに、結果は鏡心明智流の全敗だったそうです。

 鏡心明智流は、圧倒的な実力差を見せつけられての大敗でしたが、何故か道場を辞めていく門弟はいなかったそうです。

 強さ以外の気品・気位などの品位を学べる道場だったからでしょうか。

 龍馬伝で有名になった武市瑞山(半平太)の高潔な生き様は、ひょっとしたらこの道場の影響だったのかもしれませんね。


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2020年5月30日土曜日

もう一つの透明な力

 随分前のことですが、大学時代に合気道九段の多田宏先生に学ばれた方が仕事の関係で来県され、当会で稽古をされたことがありました。数年間、宮崎で稽古されましたが、その間に多田先生のお話を多々伺うことが出来ました。

 さて、その多田宏先生の書籍「合気道に活きる」は、以前の「月間武道」に連載されていましたが、内容は合気道をあくまで「道」としてとらえられており、たいへん興味深い内容となっています。興味のある方は、ぜひご覧ください。

<参考>
https://aikido-gentokukai.blogspot.com/2018/11/blog-post_10.html


 多田先生の文章は含蓄に富んでおり、興味のある箇所が多々ありますが、その中でも下記の植芝盛平先生に関する下記の記述がたいへん勉強になりました。とても重要な場所です。じっくりご覧ください。


 「植芝先生の稽古は、不思議な雰囲気につつまれていた。鋭く一瞬で相手を制する動きでありながら、道場をおおう暖かい感じは、どの様にして生まれるのか。当時は学生で未熟な私等をも、明らかに同化される、その感化力は大変なものであった」

  「ある時期、私は不思議なことに気がついた。先生に近寄ったとたん、自分の心と体が何か透明な感じになる。そして先生に触れると、それはよりはっきりして、まるで自分と先生の心と体の境の区別が、無くなったような感じとなるのである。それは先生の修行で得られた、対峙を超えた心から生じる大きな気の力が、我々を包み込んだのであろう。その力は綾部で、先生が心から尊敬された出口王仁三郎聖師から直接、以心伝心で受けられ、更に先生御自身の必死の修行でなられたのだろうと思う」
 ※合気道多田塾HPより


 この文章を拝読し、真っ先に浮かんだのが宮本武蔵の五輪の書にある「うつらかす」という技術‥、そして、植芝吉祥丸先生のいうところの「澄み切りの境地」‥。

 そして、大東流の佐川幸義先生の透明な力…。

 合気道家として目指すべき境地は、最終的には「ここ」だと思います。

 また、多田先生は、このような表現もされています。


  多田:植芝先生のご指導を受けていて、先生に触れると瞬間に頭が空になるというのが、感じられるんです。つまり植芝先生と同じ状態になるらしい、とわかりました。

 ―あ、同調するわけですか?先生の自我がなくなっちゃう。

 多田:先生が無心だからでしょうね。

 ―それは、すごいですね。

 多田:前からそうかもしれない、と思ってはいました。然し、その時は、”確かにそうだ”と感じ取ったんです。先生と私とは別の体、という感じがない。この事を友人に話しても、当時はなかなか信じないというか、分からなかったのですが、最近は素直に信じるようになってきました。

 ―青木さんがやったときは、たしか脳波をとって、遠当てのときに同調していたそうですね。

 多田:気功師が治療している時、患者の脳波が治療師の脳波と同調していると報じられた事があるでしょう。だから最近の人は信じるけど、ついこの間まで、そんな話しをしても、なかなか信じなかったんですよ。

 ―その瞬間、記憶がない?

 多田:いや記憶がないんじゃない。普通より、むしろ透明な、よりはっきりした状態です。そうでなければ、大先生と同じ様な状態になった、ということを感じ取れて、いないでしょう。以心伝心とは、本来この様な事からではないかと思いますね。

 ―あ、そうか。自分の身体に伝わってくるんですね。

 多田:何も分からなかったら稽古になりません。先生に投げられる瞬間には、独特な雰囲気の呼吸がある。それを直に得ることが出来るから、先生に手を取って教えて頂くのが、本当に大切なのです・・。



 上記にでてくる青木さんとは、新体道創始者の青木宏之さんのことですね。

 相手に触れていない状態の方を倒す技である「遠当て」を再現された方です。

 私もビデオで「遠当て」を拝見したことがありますが、何か見えない気のようなもので吹っ飛ばすのではなく、意識の狭間に気合を叩き込む!という感じでしたね。

 ただ、そういう現象は確かにあるのでしょうが、「遠当て」自体は、武術には使用しにくいものだな、とその時は感じました。

 ‥が、同時にこの原理自体はたいへん重要だとも感じました。

 その後、「猫の妙術」という山岡鉄舟先生の愛読書でもあった極意書があるのですが、その中の一番の達人の老猫の技の解読にも役立ちました。

  このような世界について、皆さんはどう思われますか?

 怪力乱神を語らず‥、なので、このような事例について、現在まであまり話さないようにしていました。


 最後に再び多田塾HPから引用させていただきます。

 関係者の皆様に御礼を申し上げます。ありがとうございました。


 ‥‥先生の稽古は、一種独特の雰囲気を、道場にかもし出す。それはあたかも道場全体が、先生の呼吸と共に、息を始めるかのようであった。

  はじめてお教えを受けた時、私は「植芝先生は、随分進んだ先生だ」と感じた。おかしく又先生に対し不謹慎な表現かもしれない、だがそれは次のようなことである。当時、早大の仲間の間で出た植芝先生の噂では、現代の武道とは全く異なる、古流柔術の実戦的な技を使い、而も不思議な能力を持つ武術家で、近代感覚では捉えられない、古い日本の時代の大名人が、今の世に現われた様な人だ、というような話であった。

  ところが実際に会った植芝先生は、今まで会ったどの武道家やスポーツマンよりも、合理的で、ある意味において、ずっと近代的であった。先生の動きの安定した律動が、緻密で勇壮なことも、印象に強かったが、「何よりも、実戦に使えば、一瞬にして相手を倒せる動きのなかにも、精神的に道場に居る人全てを包む、暖かい雰囲気があったことである。人間が今にもっと進歩したならば、この先生のようになるのでは、と感じたのかもしれなかった」。
 合気道多田塾HPより


 只々、こうありたいものだと思います。

 私達の目指すべき場所は間違いなくここです。



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2020年5月5日火曜日

合気道と悟り(姿勢、丹田、瞑想、空の世界)⑤(完)

 それでは、今回が最後になりますが、この世界に入ると何が起こるのかについて書いてみます。


 いわゆる気力(生命エネルギー)が、一瞬にして全身に注ぎ込まれますので、ストレスが洗い流され、心の中の全てがいったんリセットされます。


 また、悩んでいたことが小さいことに思えたり、どうでもよくなったりします。


【参考】
「人間の生命の本来は「空」である」

「心が空になった時、人間は一番強くなる」

「空の世界に入れば、空の世界の驚くべき力が、ぐんぐん生命に溢れてくる」

「瞑想とは、宇宙本体の偉大なエネルギーの中に、自分の命をひょいとつけることだ」

 中村天風先生の言葉



 私もこの世界に至るまで、気功法や呼吸法、そして、瞑想法というものは、呼吸でエネルギーを身体内に取り入れると理解していました。確かに深呼吸の効果は肉体的な部分でかなり強化されることがありますが、本質的な部分では異なっていたようです。


 ちなみにここに至ると体感的に空の世界のエネルギーと人が持つ生命エネルギーは同質のものだと理解できます。ここを実感すること、そして理解が大事。重要です。結局、この点を実感することで、仏教的には「すべてのものに仏心が宿る」の意味が真に理解できます。


 瞑想状態で「空」の世界に触れた時、空の世界のエネルギーと私自身のエネルギーが同じものなので、同調して空の世界のエネルギーが瞬間的に注ぎ込まれる‥、これが正解であり、気功、呼吸法、禅、禊、瞑想の本質はここにあるように思います。


 別の表現をすれば、意識の切り替えとも言えます。今風に言うと意識モードを切り替えることにより、宇宙、天といったものと波長、若しくは周波数を合わせることで、一瞬にしてエネルギーを取り入れる‥、という表現もできます。



【参考】
「瞑想とは、宇宙の根本主体と人間の生命が一体化することだ」

「宇宙の実相は、音なき世界、空の世界である。われわれが耳に聞いたり、感覚している響きや色の世界は、この現象界の仮の姿である。だからわれわれは、心の使い方ひとつで自らを空の世界に置くことができる。空の世界には、驚くべき甦りの力が溢れるほどたたえられている。空の世界に心が入ると、人の生命が宇宙の無限の力と結びつくのが、自然の原理である」
中村天風先生の言葉



 ここに至って初めて、「宇宙と一体になる」、「天と一体になる」、「大宇宙と小宇宙との合体」といったことが理解できるようになります。他の表現では、「神人冥合」、「神人合一」、インド哲学では「梵我一如」といったところでしょうが、たしかに体感的にもそういう風に感じます。


 そして、さらに重要なことが、この空の世界に存在する大宇宙のエネルギーに触れることで、我々の住んでいるこの世界の本質が瞬時に理解できることから、善悪等で区別して判断する差別智から、宇宙の本質を理解したうえで判断する無差別智に移行することになり、結果として、お経、古典、禅の言葉、聖書、哲学等々、本当の意味することが理解できるようになります。


 難解で理解できなかった禅語もより不思議と理解できるようになり、また、特に難解な(笑)、合気道開祖植芝盛平先生語録もより理解することができるようになりました。



【参考】
 「人には、心理を刹那的に直感する特別な作用がある」 中村天風先生の言葉



 さらには、この空の世界とは、「生命エネルギーの集合体」と「叡智の結晶」が混ざり合った存在だと感覚的に理解することが出来ますので、きっと、この段階に至った方が、この空の世界に存在する大宇宙のエネルギーのことを「神」と表現したのでしょう。神と同じエネルギーを持っている人間は、親子関係にも似ていることから、神道系の宗教団体の神の子思想もこの点からは正解なのだと思われます。


 影響としては、常に幸福感、満足感に浸っているためだと思いますが、物欲が少なくなりますね。正直、あの世に持っていけないものはどうでもよくなる‥、という感じです。天に徳を積むという陰徳思想さえ、「‥‥‥」という感じになります。


 悪影響?としては、瞑想状態を心身が求めるようになることから、瞑想時間の確保が必要になります。その時間がとれない場合は非常にストレスになります。このため、私の起床時間は3時45分です(笑) 雑事にわずらわされない時間の確保が必要になります。


 ただし最近は、瞑想時間が徐々に少なくてすむようになってきました。宇宙とのつながりのパイプが太くなるからでしょうか、朝15分~20分、夜15分~20分あれば十分です。一日で朝・夜の合計で最低30分の時間が確保できればありがたいというところでしょうか。ちなみに深まった瞑想状態は、睡眠を大幅に凌駕するようで、深い瞑想状態に入ることが出来る人は睡眠時間は短くて済むようになります。


 また副産物としては、人生上の大事な場面で、解決策が直感的に閃くようになります。これも宇宙とのつながりがなせる業なのかもしれません。こういったことが繰り返されるうちに「何が起こっても大丈夫」というような心持になり、結果的に空の世界のエネルギーに対する信頼の念が生じて、大いなる安心感を得ることが出来ます。


 ここで初めて信仰心の本当の意味が理解できます。


 本当の自信、いや信念とも表現できそうです。


 ただ、こうだからと言って、現実の世界は何も変わりません(笑) 


 わずらわしい雑事や俗事に追われることは続きますし、面倒な仕事が減るわけでもありません。あくまで面倒なものは面倒なのですが、その面倒な中での苦痛さがかなり軽減されるということです。


 重要なのは、「心配事はあるが、とるにたらないことと思える心境」、ここに至ることが出来たということです。宇宙とのつながりが得られたことでの大いなる安心感、そして無差別智による智慧が授けられたことから、空の世界にエネルギーに対して信仰心が芽生え、常に心の中に感謝の念が生じることになります。



【参考】
「瞑想を行えば、大山崩れたりといえども、泰然自若たり、という気持ちになれる」
 中村天風先生の言葉



 このことから結果的に生きることに対する意識が変化し、生きる希望にあふれた人生が歩めるようになるのです。


 これが私の現在の状況です。


 合気道を極めようと、20代半ばから思考錯誤しつつ、稽古を続けてまいりましたが、その結果、下根の私も、ようやくこのような心境に至ることができました。


 ここに至って分かったのが、最も重要なのが常に物理的・幾何学的に正しい姿勢を維持すること、そして、意識は深い深い静かな世界を求めること、の2点です。動く瞑想、動く禅と呼ばれる合気道は、はじめから心の静寂を意識して稽古します。きっと、このことがよかったのです。


 合気道を選んでよかった‥。


 心からそう思います。


 現在では、合気道に行法(個人の行法)として瞑想を取り入れることで、その本質に早く至ることが出来るのではないかと考えるようになりました。きっと合気道開祖植芝盛平翁もそうしてきたはずです。


 これからは、この点についてさらに掘り下げて研究を進めてまいりたいと思います。 


 これまで私を導いてくれた方々に深く、心より深く感謝申し上げます。


 ありがとうございました。


 


【リンク】
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2020年4月25日土曜日

合気道と悟り(姿勢、丹田、瞑想、空の世界)④

 以外にも反響が大きく、たくさん質問が届いていますので、参考までにいくつかの質問に回答いたします。



 まず初めに「空の世界について、もう少し簡単に教えていただきたい」とのご質問ですが、


 空の世界とは、般若心経でいうところの空の世界のことで、一般的には三昧の境地、ヨガの世界では、サマーディとも呼ばれています。ちなみにこのサマーディという言葉が、インドの言葉から漢語になり、日本に伝わり三昧と表現されるようになったようです。


 現在の言葉で説明すると潜在意識の底の底、いわゆる奥底にある世界で、叡智とエネルギーの集合体と呼べる世界です。


 この世界に至った人の受け取り方で解釈は異なりますが、仏教では涅槃、神道では黄泉の国、道教では天、キリスト教では神の国、インド哲学ではブラフマン、そして、中村天風先生は宇宙霊と呼びます。


 また、この癒しにあふれたエネルギーのことを、合気道開祖植芝盛平先生は「愛」、イエスキリストは「癒しの力」、老子は「道」と呼びます。いわゆる根源的エネルギーのことですが、人体における生命エネルギー、そして魂(真我)と同質のものです。





 次に「悟りとはいったい何ですか」とのご質問ですが、


 自分を霊的な場所(空の世界)にいったん置くことで、自分(真我)の本質とは何かを掴むことだと思います。結果的にこの世の本質・目的等々が瞬時に理解できることで。人生上におけるすべてのことに応用可能なので、世事全般に考察・推測が可能になります。

 なお、このようなことは知識の上ではすぐに理解できることです。宗教や哲学を齧ったことがある方には常識だと思います。しかし、『実感』できないとダメ、そこに天と地の差がある、そういう感じです。



 次に「瞑想や禅はなんのために行うのですか」とのご質問ですが、


 様々な考えがあるとは思いますが、心が霊的な境地(空の世界)に入ると宇宙の根本主体(神)のエネルギーと人間の生命エネルギーが同質なので一体化する。この瞬間、宇宙の根本主体(神)の万能の英知が人間の心に受け入れられることになる。その結果、安心立命の心境が得られ悠々自適な生涯を送ることができる、こういうことだと思います。



 次に、「心身の状況の変化」についてのご質問のうち、まずは身体についてお答えしますが、


① 頭頂部がスースーする感じで常に空気が出入りしているような感じがするようになった。

② 以前は、ストレスが溜まると血圧が上がったような感じがしていたがなくなった。

③ 小周転のラインをブレイクダンスのように動かせる(うねらせる)ようになった。

④ヨガのナウリ(内臓をうねらせること)ができる。当然、腹踊り(笑)も。




 次に「心的状況の変化」について、

問題や課題について、絶妙のタイミングで回答が浮かぶようになった。

②煩悶がまったくなくなり、悠々とした心持で生活を楽しむことができている。

➂とりあえずの人生の目標を達した気がして変なあせりがなくなった。また、今後は余生?という気もしていて、何か社会貢献に努めたいと考えるようになった。


➃心根が正しくなったというか、邪心が無くなった気がする。

➄どんな人もそれなりに良い点があることを認めることが出来るようになった。


以前より随分と心が広くなった気がする。




 では、「どのように空の世界に至ったのか。ヒントをいただきたい」とのご質問ですが、今までの人生のうち、このことに影響を及ぼしたのではないかと思うものをとりあえず列記してみます。


 振り返ってみると、21歳のころに一度だけ、その世界に入ったことがあります。その後、そのことをずーっと忘れていて、改めて昨年思い出した次第です。



 また、私の場合は、空海の「光が飛び込んできた」とか、植芝先生の神秘体験のような経験はありません。徐々に、徐々に心境が進んできて、はっきりと確信できたのが昨年、というところ。



【参考】
 参考までに植芝盛平先生の体験について記載します。


 大正14年(1925年)、植芝盛平先生は京都府の綾部で修行を行っていました。

 ある剣道家の挑戦を受けることになり降参させました。その後、井戸端で水を浴びていたところ、突然大地が鳴動し「黄金の光」に包まれる感覚に襲われたそうです。

 この時に、宇宙との一体感を得たことで、宇宙の原理、自然の法則から小鳥や虫の鳴き声の意味までも理解することができたそうで、同時に武道の極意、精神的な悟りを得たとのことです。


「わしは直後、はッと悟り得たように思う。勝とうとして、気を張っては何も視えんのじゃ。愛をもってすべてをつつみ、気をもってすべてを流れるにまかすとき、はじめて自他一体の気・心・体の動きの世界が展開し、より悟りえた者がおのずから、いわゆる勝ちをおさめている。勝たずして勝つ――正(まさ)しく勝ち、吾(われ)に勝ち、しかもそれは一瞬の機のうちに速やかに勝ち、つまりは自他一体、神人一如、宇宙即(すなわち)我なる愛の産霊(むすび)そのものの勝利となる。すなわち、己れ一個の勝ち負けははるかに超越した、武産(たけむす)の神の絶対の勝ちがそれであり、武の道とはそこに到達することをもって至上とする。……まあそのようなことを感得したのではなかろうかな」
(注)以上は、「合気道開祖 植芝盛平伝」(出版芸術社)からの引用です。





 振り返れば、小学生の頃、野球少年だったのですが、人材不足から水泳大会にも出なければならず、毎日両方を練習していました。しかし、私の欠点でスタミナがなく、常に疲れていた状態‥。その頃読んだ小学生用のヨガの本(確か豆たぬきの本というシリーズ)で、疲れがとれる「死骸のポーズ」を必死に独習しました。


 それから、大学生の頃は苦学生でしたので、学業と仕事(深夜までの勤務)を両立させるために、この「死骸のポーズ」を必死にやりました。すると睡眠時間が短時間でも生活ができるようになり、私にとっては、不可欠なツールとして現在まで行ってきています。なお、21歳頃に一度空の世界に入ったことがあるといったのも、この頃のことです。


 その後、社会人になり、疲れた時、寝る時間があまりない時は、睡眠前に行ってきました。私の場合は、癖になっていたというほうが正解のようです。この頃から、経験上、肥田式強健術の腹胸式呼吸法を2~3回やってから、この死骸のポーズに入るとさらに効果的だと分かり、併用して行ってきました。目覚めがいいですね。全然違います。


 最近気づいたのですがこのように、ヨガの世界では奥義であり、一番難しいと言われているシャバアーサナ(死骸のポーズ)を知らず知らずに人生の糧にしていて、結果的に40数年間独習してきたようです。これがよかったのかは分かりません。しかし、何らかの影響があったのは間違いないようです。


 また、合気道家のMさんから20代の頃に立禅を学び、少しずつですが続けてまいりました。ただ、100%毎日やったか?というと、まったくそのようなことはなく、思い出した時にやる感じで、熱中してやる時期もあれば、しばらく忘れていて、思い出したように始めるというのが正直なところです。


 しかし、10年前に道場を建設した時から、稽古場所の確保ができたこともあり、実施率?は高まったように思います。また、20代の頃には分からなかった「気持ちよさ」「爽快感」「活力が増す感覚」を覚えるようになり、だんだんとやめられなくなったというのが本当のところす。


 実は以前から、座禅や座っての瞑想にも取り組んでいたのですが、始めたころは、気持ちよさをあまり感じることができないことから、立禅を主として行ってきました。


 立禅が深まり、立った状態で「深い深い静けさ」を感じることができるようになった頃から、ようやく座っても同じように「深い深い静けさ」を感じることができるようになりました。


 座禅(座っての瞑想)、立禅どちらがいいかと問われれば、もちろん人それぞれなのでしょうが、現在は、座禅のほうがより深い世界に入れる気がしています。


 座禅(座っての瞑想)、立禅、死骸のポーズ(臥禅?)、いずれも最終の目的は同じだと思いますが、それぞれ欠点があります。その人が楽なポーズが一番です。


 座禅(座っての瞑想)は、足が短い日本人にとって、重心が安定しにくいという欠点があります。重心が安定しないと身体を脱力することが叶わないことから仮死状態に至らないため、深い静けさを味わうことがかないにくいです。また日本人(特に合気道家)には正座(金剛座)だと重心が安定しやすいのですが、足がしびれやすく長時間座れないという欠点もあります。


 立禅は、丹田が理解できた方には深い静けさの世界に入りやすいのですが、丹田が理解できない方は、やはり重心が安定しにくく、また、人によっては「立ったまま瞑想できるわけがない! 倒れるやないか(笑)」という思いが強い方が意外に多いようです。意識の転換が必要ですね。


 死骸のポーズは一番簡単ですが、眠ってしまいやすい(笑)という悲しい欠点があります。



 現在は、座っての瞑想、立っての瞑想、死骸のポーズをその日の気分で行っていますが、その深い深い静けさのまま合気道の稽古を行うよう努めています。



 以上、参考になるかは分かりませんが、ご質問の回答になります。



「合気道と悟り(姿勢、丹田、瞑想、空の世界)➄完」につづく
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合気道と悟り(姿勢、丹田、瞑想、空の世界)③

 さて、ここからが本番(笑)です。


 今回は、見性悟道、いわゆる無念無想の境地についてお話しします。


 見性悟道は、合気道や武道などを趣味程度ではなく、「道」として学んでいる方々にとっての最終目標(目的)ではないでしょうか。


 さて、現在の私は、一通り稽古してから、若しくは稽古の前に座禅、立禅、正座法等々、何でもいいのですが、とにかく瞑想を行っています。


 現在は、基本的に天風会の安定打座密法と立禅をやっていますが、その時の姿勢は、座禅、立禅、椅子、寝てなど、正直なところ、気分に任せて適当です(笑)。あまりこだわりません。空の世界に入った瞬間は、身体は息をするのも忘れている仮死状態になりますので、その時に体勢が崩れないことが大前提です。まずは、一瞬眠っても瞑想状態に影響を与えない程度の幾何学的に強く正しい姿勢が求められます。これがないと心身脱落の境地には入れません。


 瞑想の前には事前準備として姿勢を整え丹田をつくっておくとよいです。丹田を整えておくというのがよい表現かもしれません。これは、早く深い静かな世界に入るための下準備になりますが、理由として、一つは安定した姿勢をつくるため、もう一つは、思考回路を遮断するためです。丹田をしっかり極めると、その瞬間思考回路がストップし、何も考えていない(考えられない)状態になりますので、そのまま深い瞑想状態に入ることができます。


 そうするうちにモヤモヤした白い煙のようなものが下から上がってきて、ストレスを洗い流してくれるような感覚が生じます。この時の感覚は、「すごくいい気分♪」という感じなのですが、聞いた話によると、この状態が「中国の洗髄経に書いてある洗髄状態だよ」という方もいます。


 曹洞宗開祖の道元禅師は、座禅のことを「いわゆる坐禅とは習禅にはあらず。唯これ『安楽の法門』なり」と表現されており、いわゆる坐禅とは、難行苦行ではなく安楽の行であり『安楽の法門』であると難行苦行を否定されています。


 安楽とは、「心身の苦痛や生活の苦労がなく、楽々としていること」なので、実は座禅とは元々は、「心も体も楽にしてくれる方法」だったのです。


 分かりやすく言うと「満足感」や「幸福感」等々、何でもよいのですが要は「気持のよさ」が羅針盤だと思います。禅とは本来、忍耐心、我慢等々とは対極にある存在だったようです。


 さて、次に思考回路がストップした状況から、意識モードが数段階に分けて切り替わっていきます。


 時には、身体の腕や手の中を、まるでホースの中を水が通って活性化していくような感覚が生じたり、何かが身体の中を貫通していく感じがすることがあります。また、手の指がぶくぶくと膨れ上がる感覚を得ることも度々起こります。この後は、物理的に凄く力が出ますね。不思議です。きっと、このようにまだまだ私達の知らない、知られていないことがたくさんあるのでしょうね。


【参考】
 「立禅は初めは5分、あるいは10分と短い時間しか持たないが、訓練を続けることにより、30分、1時間と立てるようになる。30分、1時間と立てるようになれば、自然のうちに無我の境地に入ることができる。この無我の境地に入っていくには、さほどそれを意識しなくても長い時間たっていると自然にできるようになるものである。」

 「(禅の最中について、太気至誠拳法創始者の澤井健一先生が言うには)『今夜の食事のこと、何か気に掛かること、何でも考えたものがあれば考えてもいいよ。足が痛くなれば、もうそれどころではないよ。頭の中がそのことで一杯になってくる。それを超えれば、もうそこには何も無い。』実際、立禅を行ってみたが、まったくその通りであった」

 「この苦しみを長年続けていると、一つの形ができ、体内に『気』が充満してくるのが分かるようになる。私が立禅を組み始めてちょうど5年くらいたってからのことである。電気でいう充電と同じように、体内に自然と『気』が充満してきたのを覚えている」
太気至誠拳法 佐藤嘉道


【参考】
「合気道がなぜ素晴らしいか。それは全ての力を抜くことを知ったからである。自分の体力的欲望をすっかり捨てたところに、無限の力が流れてくることが分かったからである」
万誠館合気道創始者 砂泊誠秀氏の言葉



 次に意識モードが深く静かな世界に切り替わっていく度に、この幸福感、満足感に包まれた状態を維持したい、止めたくない‥という感覚が強く生じます。


 そして、もう一段階意識モードが切り替わり、コクッ(という感じで)と「‥‥‥(意識ははっきりしているが、何も考えていない世界)」に突入します。


 この深く静かな、とっても深く静かなシーンとした世界‥、これが「空」という世界の正体で、この宇宙の実相とも言えます。



【参考】
「音のない、シーンとした静かな世界が宇宙の新実相で、そこには宇宙本体のエネルギーが遍満存在している」
中村天風先生の言葉


 いわゆるサマーディ、三昧と言われる境地です。合気道では、いわゆる「澄み切りの境地」というところでしょう。


 まだうまく説明できないのですが、意識はあるがまったく感情のない全てが客観的に見える(思える)世界、若しくはプラスマイナスのない世界と表現してもよい気がします。


 なお、この世界に入るのは実はまったく難しくないのですが、ただし、難しいと思っている人にはたしかに難しいかもしれないな、とも思えます。表現は難しいのですが、何年も厳しい修行をし、忍耐のうえに忍耐を重ねてからでないと行きつけない…、そう思っている人には難しいという意味です。


 以外に思えるかもしれませんが、すべての人がその世界に入ったことがあるはずです。実は、誰もが入ったことがある世界が、その世界なのだと認識できていないだけだと思います。その世界がどのような状態なのか理解していないからしょうがありませんが…。


 また、あまり知られていないことですが、瞑想なり座禅は、線香が燃え尽きる時間(約45分)行うとか言われていますので、その時間中(45分間)ずっとこの空の世界に入っているのではないかと思われがちですが、それは誤解です。空の世界に入れる時間は、普通は数秒から数十秒、長い方で1~2分というところでしょうか。例えば45分間瞑想を行うとすれば、空の世界に入る数秒から1~2分間が45分中に何回か繰り返すというのが本当のところです。なお、これは私だけの意見ではなく、その道に達したか方の共通認識です。念のため。


【参考】
「実我の境地は、一刹那である」

「本当にシーンとした気持ちが続くのは、私の場合でも1~2分だね」
 中村天風先生の言葉


 実際、この世界に入っている瞬間は、身体が仮死状態になることで意識(魂)だけがクリアに活動している状態で、息をすることさえ忘れています。正直、この世界に1分入れる人はまれだと思います。普通は数秒ではないでしょうか。私の場合もだんだんと長くなってきてはいますが、数分というのはまだありません。


 ただ、生命エネルギーは一瞬にして注ぎ込まれますので、実際は数秒間の数回の繰り返しで充分にエネルギーが充電されますので、それでも十二分に十分だと言えます。


 ここでようやく自分の正体が、身体でも、心でもない、「魂(気の集合体)」なのだと理解することができます。このことを理解していた合気道開祖植芝盛平先生は、「合気道は、霊主体従の武道である」と大本教の言葉を借りて説明されたのだと思います。



【参考】
「肉体は自己そのものではなく、自己の命が所有しているものである。それは、ちょうど着ている服が自分の肉体ではないのと同じである」

「我の本質を自覚するための第一過程は、「自己」と「自己の肉体」の関係と、「自己」と「自己の心」の関係を正しく認識することである」
中村天風先生の言葉



「合気道と悟り(姿勢、丹田、瞑想、空の世界)④」につづく
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2020年4月19日日曜日

合気道と悟り(姿勢、丹田、瞑想、空の世界)②

  さて、十年ぐらい前のことでしょうか?
 

 読んだ本のなかで、武道・格闘技会では著名な編集長が書いたコラムがありましたが、その中に昔の武道家が座禅を組んだ理由として「養生のため」というものがありました。


 その時点では、私の中では…何か腑に落ちない? という印象を持ちました。


 そのときの私の考えでは、合気道でいうところの「澄み切りの境地」や「明鏡止水の境地」を目指すのに有効であるがためだけに座禅を組むのだと思って(一部勘違い?)いたからです。


 この疑問から、私も正式に学んでみようと機会をみつけては教えていただきながら必死に座りました。


 しかし、座禅(結跏趺坐)をやるには足が短すぎるのか?(笑) 姿勢に狂いが生じたようで腰・背中に違和感が生じてきました。


 「座り方が足りないのだ!」という指導の下、私も「きっとそのとおりだろう」と感じて努力してはみたのですが…、努力の甲斐なく腰や背中の不調に悩まされ続けました。一番困ったのは実は胃の痛み‥。どうも意を圧迫し続けたようで胃酸過多になってしまったようです。 


 その後、合気道関係者のMさんに学んだ立禅を中心に続けてきましたが、腰や背中、そして胃の不調が改善され気持ちよく立つことができました。効果も倍増している気がします。


 やはり、無理する姿勢はよくない‥、無理な姿勢では自然体になれない、そう思います。


 結局のところ、禅や瞑想には、重心の安定が不可欠です。重心が一転に集中しないとリラックスすることが叶わず、自然体に至れないからです。


 なお、重心が一点に集中する場所が、いわゆる丹田です。この自覚が重要です。


 それはさておき、先ほどの腑に落ちなかった座禅を組む理由について、私の場合も現在はエネルギー充電? のためでしょうね(笑) 結局のところ同じでした。


 なお、曹洞宗開祖の道元禅氏師は、難行苦行を伴った座禅、また座禅により精神統一を高めようとしたり、無念無想を目指そうとする座禅を否定しています。それらは、結果的に得られるものであり、五感により巡り来る一念一念にとらわれず、跡をとどめない、こだわりを離れ、ただ座禅することにより、「安楽に遊戯することである」と説かれています。結局のところ、これでよいのでしょう(笑) 参考までに…。


 それでは、なぜこんなことを続けているのか?  続けられるのか?


 それは「気持ちが良くてたまらなくなるから」です。止められないのも原因の一つです。‥やめられません。それは一番幸福な時間だと感じるので心身が求めるのです。



【参考】
 「瞑想をすると夜の睡眠ではとれない精神的な疲労が癒されるので、私は瞑想をやらずにおれない」
 道元禅師の研究で有名な東京大学玉城康四郎教授の言葉



 ‥ということから、現在の禅の感想は? というと結果的に「養生のため」(笑)になっていますので、編集長の意見も当たっているような気がする今日この頃です。


 年齢が五十に近づいていることが主な原因だと思いますが、仕事のストレス、深夜勤務、飲み会等のおつきあいが引き続くと気力が減退し、「やる気がなくなり、後ろ向きな性格」になりかける…ことがあります。


 …が、立禅を“正確に行う”と「一つひとつの細胞が充電」している感じがして、「矢でも鉄砲でも何でもこい、やってやろうじゃねーか!」と、なぜかべらんめぇ口調(笑)になることも…。


 私個人の感想としては、体感、そして経験から「間違いなく充電している」と感じていますし、実際に考え方も前向きになります。


 そして大事なのは、続けただけ「真の幸福感に包まれること」が多くなることです。


 「あぁ満足‥、これ以上何もいらない‥」、そんな心境になります。


 ホントに「人生は心一つの置き所」(中村天風)…。 不思議なものです。


 禅を始めた若い時分には、まったく効果を感じませんでした。これは、禅を組み始めた当初は持って生まれた先天の気が充実しており、少しの充電では効果を感じることができなかったのだと思います。


 現在の状況は、禅を組んでから数分で体がポカポカしてきて気持ちが良くなり、止めたくなくなります。日により感じ方に多少の違いはありますが、「気持ちよくてたまらない」という表現が適当ではないでしょうか。


 また、時間がないときは、この状態のまま現実世界に引き戻されることになりますが、終了後は、握力が「ギュギュギュー」と入る感じになり、「気合が入る」という本当の意味は、このようなことを言うのかな? とも思ったりします。


 実際に握力計の針も通常以上に上がります。握力の限界からもう一握りできるような感じです。2速目のギヤに入った感じとも表現できます。



【参考】
  「空の世界には、驚くべき甦りの力が、あふれるほど、湛えられている」
 中村天風先生の言葉



 結局のところ、これは正しい姿勢と時間に比例するように思えます。


 以前の立禅の時間は、時間がないときは30分ぐらい、あるときで1時間ぐらいでしょうか。


 30分ぐらいでは、やり足りない感じが大で、残念な思いで終了していました。


 時間のあるときは、なぜか45分ぐらいから身体と空気の境目がなくなり始め、モヤモヤしたものが下から上がってきて、自然に脳が何も考えられない状態になっていました。


 その時の感覚としては、気持ちの良さだけが維持されます。


 はっきりと意識はあるのですが、時間の感覚が狂うのか…、気がつくと1時間程度経過しているときもありました。


 現在の私の考えでは、「何も考えない」という禅の教えは「姿勢の正しさ」と「リラックス」と「時間」に比例して結果的に生じるもので、「何も考えないという努力の結果ではなく」、「何も考えられなくなる」が正しい気がしています。


 そして、細胞の振動数の減少の度合いに比例して「細胞が充電する」のではないかと考えています。


 結局のところ、充電しているかのバロメーターは、「気持ちのよさ」だと思っています。


 ‥ここまではよくある話。


 ある程度の修行を積んだ方は全て理解できる内容だと思います。


 次は、瞑想、そして空の世界について書いてみます。



「合気道と悟り(姿勢、丹田、瞑想、空の世界)③」につづく
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2020年4月18日土曜日

合気道と悟り(姿勢、丹田、瞑想、空の世界)①

 合気道の魅力の一つに開祖植芝盛平先生の様々な逸話と共に伝えられる精神的境地の高さがあります。いわゆる開祖に悟った人物がいるという魅力。 


ただ肉体的に強いだけでは物足りない、精神的境地の高さも求めたい方々にとっては、とてもありがたい武道ですね。やはり、道と名の付くものの最終目標は見性悟道です。


 そこで今回は、合気道家の目指すべき方向性について書いてみます。


 その方向性とは、武道としての「合気道の理」についてで、内容は、「姿勢」と「丹田」、そして「瞑想」、その延長線上にある「空の世界」についてです。


 さて、私は、合気道が上達したいがために、様々な稽古を重ねてきましたが、ある時、合気道で特に重要なのは「姿勢」だと気づきました。その後、この姿勢を極めようとしていくうちに「丹田」に行き着き、その丹田を重視した姿勢の維持を心がけていたところ、それが結果的に瞑想の極意ということだったのか、結果的に空の世界に入ることが出来るようになりましたが、このことについて、私の体験も含めて書いてみたいと思います。


 随分前に、「構え」と題し、参考までに「姿勢」についての稽古法を書いたことがありましたが、この稽古法を一言でいうと、姿勢をきちんと整えて、「この姿勢を一生崩さない」稽古なのですが、この稽古でどのような効果が生じるのかを書いてみたいと思います。


 あくまで私の経験上でお話しますが、体質的に変化し、新陳代謝がよくなるようで異常な汗っかきになります。


 立ち読みしている時にも体が熱くなって汗が噴き出すようになり、また、自然にいつの間にか体が揺れていて笑われることもありました。


 また、丹田の意味がよく理解できるようになり、運動がお腹中心(人によっては腰中心)になります。


 さらには、20代の頃のほんの一時期でしたが、お腹、特に下っ腹がカチカチになり、わざと水月を殴ってもらっても全く平気な時期がありました。これは何だったのでしょうか?


  今でも不思議に多いますが、この期間は、元気が旺盛すぎてたいへんだった時期だった記憶があります。参考までに‥。


 それはさておき、食欲旺盛になり、かつ酒が強くなります。そして、とっても余計な効果なのですが、お腹が多少でてきます…。


 すると結果的に剣道で言うところの「へそが上を向く」状態が生じ、はっきりと丹田を自覚することが出来ました。


 結局のところ丹田とは、上半身の重みが物理的に一点に集まる場所なのだと理解することが出来ます。このことから、上半身の力みがとれないうちは、丹田の自覚は生じませんので、丹田の自覚を得るには、ひたすら上半身をリラックスさせ、力みが全くない状態で立つ、若しくは座ることで理解することが出来ます。


 合気道で力を抜く理由の一つが丹田の自覚を得るためだと思います。


 次に、ここのところを通り過ぎると、突然、「腰が強くなった」や「体が重くなった」と言われだします。体重が増えたのも原因かもしれませんが…(笑) そうしているうちに、「練習相手が突然軽くなった」気がして、合気道における呼吸投げが急に上達します。また、勝手に人が倒れたりする状況が生じ不思議な思いがします。


 ようやくここで重心が整い心身が統一している状況が人間の能力が一番発揮できる状況なのだと理解できます。全ては、重心が整い、動きが伴っても崩れが生じないことによる効果です。


 「構え」の稽古として最上のものは、姿勢をきちんと整えて、「この姿勢を一生崩さない」稽古だと思います。内容は簡単ですが、実行するには、これほど難しい稽古はないと思います。良い癖として身につければ言うことなしですね。もちろん、私も現在進行形で修行中です。


 姿勢を最重要視していた肥田式強健術の創始者である肥田春充氏は、「姿勢さえ正しければ一事が万事の如く、人間が本来有する一切の偉大な能力が自然と発生する」との言葉を残しています。実際に、1日1分程度の姿勢強化運動で、過去誰にも成し得なかった試し割りを実現しています。姿勢というものは、思っている以上に重要なのでしょう。


 なお、肥田式強健術では、正しい姿勢の状態のことを「腰腹同量」という言葉で表現しています。丹田が理解できる方は、ピンときて「なるほど」と思える表現ですが、この腰腹同量の力とは、呼吸をすると腹・腰・横腹が同時に膨らむ体勢のことです。姿勢をつくるのではなく、上半身の力を抜くと丹田に力が集中し、自然とそうなります。


 また、中村天風先生は、このことを「クンバハカ密法」や単に「クンバハカの姿勢(聖なる体勢)」と呼んでいます。


 ちなみにクンバハカのやり方は、


  ①まず肛門を閉める、
  ②同時に肩の力を抜き、肩を下げ、
  ➂へその下三寸(丹田)あたりに力を充実させる。
 

 …なのですが、これでは理解しにくい。


 このため、中村天風先生がインドのカリアッパ師から学んだ口伝(ヒント)を紹介します。


 「クンバハカとは、水をいっぱい入れたボトルに圧力が均等にかかる状態にからだをもっていくことだ…」


 表現は違えど、腰腹同量の力と同じことを言っているのだと思います。


 「姿勢の理」、そして「構えの理」というものがあるとすれば、この「腰腹同量の姿勢」、若しくは「クンバハカの姿勢」、これをベースにそれぞれの身体に応じて工夫すべきだと考えます。


 なお、経験則としてお伝えしますが、この肥田式強健術で詳細に説明してある姿勢はまねしないほうが無難です。それは、独学では腰骨・内臓等に問題が生じる場合があることと、人それぞれ骨格が違うため、目的が自然体への回帰なのに、逆に不自然な方向に行ってしまう可能性があるからです。肥田式の姿勢に何となく違和感、そして不自然さを感じるのは私だけではないでしょう?

<参考>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%A5%E7%94%B0%E6%98%A5%E5%85%85




「合気道と悟り(姿勢、丹田、瞑想、空の世界)②」につづく
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