高校生の頃、「ミドレンジャー先生」というニックネームの先生がいました。
このあだ名の由来は、先生は髪が薄く後頭部がVの字に見えるため、後ろから見ると昔流行ったテレビ番組ゴレンジャー戦隊の「ミドレンジャー」に似ていたので、このようなニックネームがつけられたようです。
…つけられた…とか、…ようです、と言いながら、友人に言わせるとどうも自分がつけたあだ名のようですね(笑) ‥確かにつけそうだ。
さてこの時期、元気いっぱいでとても反抗的な生徒だった私は、先生方からするとわずらわしい生徒だったようで、煙たがられていました。
そのような中、なぜか自分を可愛がってくれた先生も少数ですがいらっしゃいました。
その中の一人が、この「ミドレンジャー先生」。
先生はクリスチャンだったようで、授業の始まりにはいつも黒板の右上に「祈り」と書いてから授業を行っており、また、同時に道徳的な授業もされていました。
記憶によると病気で倒れられてから授業の比率が急に「試験勉強 → 人生哲学」に変わってしまった先生のようでした‥。
試験の勉強より道徳的生き方を重視されており、このせいかバブル時代の学歴偏重社会の先生としては不適格? との烙印を押されていた雰囲気があった気がします。空気感でそう感じていましたが、実際はどうだったのでしょう…。
さて最近、部屋の掃除をしていたらその当時の手帳がでてきました。
そのメモに「ミドレンジャー」、との走り書きのあとに以下の文章がありました(若干、修正・補足しています)。
「あなたの真っ直ぐな正義感は若いなりに不器用だが悪くない。そして元気もある。そのまま真っ直ぐ成長すれば人を指導する立場の人間になれるかもしれない。そのような場合、いろんな方から意見を求められたり相談事を持ち込まれることがあると思う。そのようなときは、的確に正しい方向に導いてやる必要がある。また、これには見識が育っていないとできない。見識が育つためには知識がまずもって必要である。そのような時に、『道に迷った人、困っている人をさらに惑わしたくなければ“今勉強しなさい”』」、
これは、先生お得意の「褒め殺し的説教」であり、当時の私も決して勘違いすることはなかったのですが、「自分というものを理解してくれる方がいるのがうれしかった」のは事実でした。
しかし、当時の私は意味が分かっていたのでしょうか?
今思えば尊敬すべき良い先生もいたのですね…。
しかし、結局社会人になるまで全く勉強はしませんでした(笑)
勉強していれば「ミドレンジャー先生」が言うような人物になれたのでしょうか?
光陰矢のごとし…、後悔先に立たず…ですね。
いやいやいかんいかん。まだまだこれからです。
頑張ります。
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