読んだ本のなかで、武道・格闘技会では著名な編集長が書いたコラムがありましたが、その中に昔の武道家が座禅を組んだ理由として「養生のため」というものがありました。
その時点では、私の中では…何か腑に落ちない? という印象を持ちました。
そのときの私の考えでは、合気道でいうところの「澄み切りの境地」や「明鏡止水の境地」を目指すのに有効であるがためだけに座禅を組むのだと思って(一部勘違い?)いたからです。
この疑問から、私も正式に学んでみようと機会をみつけては教えていただきながら必死に座りました。
しかし、座禅(結跏趺坐)をやるには足が短すぎるのか?(笑) 姿勢に狂いが生じたようで腰・背中に違和感が生じてきました。
「座り方が足りないのだ!」という指導の下、私も「きっとそのとおりだろう」と感じて努力してはみたのですが…、努力の甲斐なく腰や背中の不調に悩まされ続けました。一番困ったのは実は胃の痛み‥。どうも意を圧迫し続けたようで胃酸過多になってしまったようです。
その後、合気道関係者のMさんに学んだ立禅を中心に続けてきましたが、腰や背中、そして胃の不調が改善され気持ちよく立つことができました。効果も倍増している気がします。
やはり、無理する姿勢はよくない‥、無理な姿勢では自然体になれない、そう思います。
結局のところ、禅や瞑想には、重心の安定が不可欠です。重心が一転に集中しないとリラックスすることが叶わず、自然体に至れないからです。
なお、重心が一点に集中する場所が、いわゆる丹田です。この自覚が重要です。
それはさておき、先ほどの腑に落ちなかった座禅を組む理由について、私の場合も現在はエネルギー充電? のためでしょうね(笑) 結局のところ同じでした。
なお、曹洞宗開祖の道元禅氏師は、難行苦行を伴った座禅、また座禅により精神統一を高めようとしたり、無念無想を目指そうとする座禅を否定しています。それらは、結果的に得られるものであり、五感により巡り来る一念一念にとらわれず、跡をとどめない、こだわりを離れ、ただ座禅することにより、「安楽に遊戯することである」と説かれています。結局のところ、これでよいのでしょう(笑) 参考までに…。
それでは、なぜこんなことを続けているのか? 続けられるのか?
それは「気持ちが良くてたまらなくなるから」です。止められないのも原因の一つです。‥やめられません。それは一番幸福な時間だと感じるので心身が求めるのです。
【参考】
「瞑想をすると夜の睡眠ではとれない精神的な疲労が癒されるので、私は瞑想をやらずにおれない」
道元禅師の研究で有名な東京大学玉城康四郎教授の言葉
‥ということから、現在の禅の感想は? というと結果的に「養生のため」(笑)になっていますので、編集長の意見も当たっているような気がする今日この頃です。
年齢が五十に近づいていることが主な原因だと思いますが、仕事のストレス、深夜勤務、飲み会等のおつきあいが引き続くと気力が減退し、「やる気がなくなり、後ろ向きな性格」になりかける…ことがあります。
…が、立禅を“正確に行う”と「一つひとつの細胞が充電」している感じがして、「矢でも鉄砲でも何でもこい、やってやろうじゃねーか!」と、なぜかべらんめぇ口調(笑)になることも…。
私個人の感想としては、体感、そして経験から「間違いなく充電している」と感じていますし、実際に考え方も前向きになります。
そして大事なのは、続けただけ「真の幸福感に包まれること」が多くなることです。
「あぁ満足‥、これ以上何もいらない‥」、そんな心境になります。
ホントに「人生は心一つの置き所」(中村天風)…。 不思議なものです。
禅を始めた若い時分には、まったく効果を感じませんでした。これは、禅を組み始めた当初は持って生まれた先天の気が充実しており、少しの充電では効果を感じることができなかったのだと思います。
現在の状況は、禅を組んでから数分で体がポカポカしてきて気持ちが良くなり、止めたくなくなります。日により感じ方に多少の違いはありますが、「気持ちよくてたまらない」という表現が適当ではないでしょうか。
また、時間がないときは、この状態のまま現実世界に引き戻されることになりますが、終了後は、握力が「ギュギュギュー」と入る感じになり、「気合が入る」という本当の意味は、このようなことを言うのかな? とも思ったりします。
実際に握力計の針も通常以上に上がります。握力の限界からもう一握りできるような感じです。2速目のギヤに入った感じとも表現できます。
【参考】
「空の世界には、驚くべき甦りの力が、あふれるほど、湛えられている」
中村天風先生の言葉
結局のところ、これは正しい姿勢と時間に比例するように思えます。
以前の立禅の時間は、時間がないときは30分ぐらい、あるときで1時間ぐらいでしょうか。
30分ぐらいでは、やり足りない感じが大で、残念な思いで終了していました。
時間のあるときは、なぜか45分ぐらいから身体と空気の境目がなくなり始め、モヤモヤしたものが下から上がってきて、自然に脳が何も考えられない状態になっていました。
その時の感覚としては、気持ちの良さだけが維持されます。
はっきりと意識はあるのですが、時間の感覚が狂うのか…、気がつくと1時間程度経過しているときもありました。
現在の私の考えでは、「何も考えない」という禅の教えは「姿勢の正しさ」と「リラックス」と「時間」に比例して結果的に生じるもので、「何も考えないという努力の結果ではなく」、「何も考えられなくなる」が正しい気がしています。
そして、細胞の振動数の減少の度合いに比例して「細胞が充電する」のではないかと考えています。
結局のところ、充電しているかのバロメーターは、「気持ちのよさ」だと思っています。
‥ここまではよくある話。
ある程度の修行を積んだ方は全て理解できる内容だと思います。
次は、瞑想、そして空の世界について書いてみます。
「合気道と悟り(姿勢、丹田、瞑想、空の世界)③」につづく
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【リンク】
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