今回は、見性悟道、いわゆる無念無想の境地についてお話しします。
見性悟道は、合気道や武道などを趣味程度ではなく、「道」として学んでいる方々にとっての最終目標(目的)ではないでしょうか。
さて、現在の私は、一通り稽古してから、若しくは稽古の前に座禅、立禅、正座法等々、何でもいいのですが、とにかく瞑想を行っています。
現在は、基本的に天風会の安定打座密法と立禅をやっていますが、その時の姿勢は、座禅、立禅、椅子、寝てなど、正直なところ、気分に任せて適当です(笑)。あまりこだわりません。空の世界に入った瞬間は、身体は息をするのも忘れている仮死状態になりますので、その時に体勢が崩れないことが大前提です。まずは、一瞬眠っても瞑想状態に影響を与えない程度の幾何学的に強く正しい姿勢が求められます。これがないと心身脱落の境地には入れません。
瞑想の前には事前準備として姿勢を整え丹田をつくっておくとよいです。丹田を整えておくというのがよい表現かもしれません。これは、早く深い静かな世界に入るための下準備になりますが、理由として、一つは安定した姿勢をつくるため、もう一つは、思考回路を遮断するためです。丹田をしっかり極めると、その瞬間思考回路がストップし、何も考えていない(考えられない)状態になりますので、そのまま深い瞑想状態に入ることができます。
そうするうちにモヤモヤした白い煙のようなものが下から上がってきて、ストレスを洗い流してくれるような感覚が生じます。この時の感覚は、「すごくいい気分♪」という感じなのですが、聞いた話によると、この状態が「中国の洗髄経に書いてある洗髄状態だよ」という方もいます。
曹洞宗開祖の道元禅師は、座禅のことを「いわゆる坐禅とは習禅にはあらず。唯これ『安楽の法門』なり」と表現されており、いわゆる坐禅とは、難行苦行ではなく安楽の行であり『安楽の法門』であると難行苦行を否定されています。
安楽とは、「心身の苦痛や生活の苦労がなく、楽々としていること」なので、実は座禅とは元々は、「心も体も楽にしてくれる方法」だったのです。
分かりやすく言うと「満足感」や「幸福感」等々、何でもよいのですが要は「気持のよさ」が羅針盤だと思います。禅とは本来、忍耐心、我慢等々とは対極にある存在だったようです。
さて、次に思考回路がストップした状況から、意識モードが数段階に分けて切り替わっていきます。
時には、身体の腕や手の中を、まるでホースの中を水が通って活性化していくような感覚が生じたり、何かが身体の中を貫通していく感じがすることがあります。また、手の指がぶくぶくと膨れ上がる感覚を得ることも度々起こります。この後は、物理的に凄く力が出ますね。不思議です。きっと、このようにまだまだ私達の知らない、知られていないことがたくさんあるのでしょうね。
【参考】
「立禅は初めは5分、あるいは10分と短い時間しか持たないが、訓練を続けることにより、30分、1時間と立てるようになる。30分、1時間と立てるようになれば、自然のうちに無我の境地に入ることができる。この無我の境地に入っていくには、さほどそれを意識しなくても長い時間たっていると自然にできるようになるものである。」
「(禅の最中について、太気至誠拳法創始者の澤井健一先生が言うには)『今夜の食事のこと、何か気に掛かること、何でも考えたものがあれば考えてもいいよ。足が痛くなれば、もうそれどころではないよ。頭の中がそのことで一杯になってくる。それを超えれば、もうそこには何も無い。』実際、立禅を行ってみたが、まったくその通りであった」
「この苦しみを長年続けていると、一つの形ができ、体内に『気』が充満してくるのが分かるようになる。私が立禅を組み始めてちょうど5年くらいたってからのことである。電気でいう充電と同じように、体内に自然と『気』が充満してきたのを覚えている」
太気至誠拳法 佐藤嘉道
【参考】
「合気道がなぜ素晴らしいか。それは全ての力を抜くことを知ったからである。自分の体力的欲望をすっかり捨てたところに、無限の力が流れてくることが分かったからである」
万誠館合気道創始者 砂泊誠秀氏の言葉
次に意識モードが深く静かな世界に切り替わっていく度に、この幸福感、満足感に包まれた状態を維持したい、止めたくない‥という感覚が強く生じます。
そして、もう一段階意識モードが切り替わり、コクッ(という感じで)と「‥‥‥(意識ははっきりしているが、何も考えていない世界)」に突入します。
この深く静かな、とっても深く静かなシーンとした世界‥、これが「空」という世界の正体で、この宇宙の実相とも言えます。
【参考】
「音のない、シーンとした静かな世界が宇宙の新実相で、そこには宇宙本体のエネルギーが遍満存在している」
中村天風先生の言葉
いわゆるサマーディ、三昧と言われる境地です。合気道では、いわゆる「澄み切りの境地」というところでしょう。
まだうまく説明できないのですが、意識はあるがまったく感情のない全てが客観的に見える(思える)世界、若しくはプラスマイナスのない世界と表現してもよい気がします。
なお、この世界に入るのは実はまったく難しくないのですが、ただし、難しいと思っている人にはたしかに難しいかもしれないな、とも思えます。表現は難しいのですが、何年も厳しい修行をし、忍耐のうえに忍耐を重ねてからでないと行きつけない…、そう思っている人には難しいという意味です。
以外に思えるかもしれませんが、すべての人がその世界に入ったことがあるはずです。実は、誰もが入ったことがある世界が、その世界なのだと認識できていないだけだと思います。その世界がどのような状態なのか理解していないからしょうがありませんが…。
また、あまり知られていないことですが、瞑想なり座禅は、線香が燃え尽きる時間(約45分)行うとか言われていますので、その時間中(45分間)ずっとこの空の世界に入っているのではないかと思われがちですが、それは誤解です。空の世界に入れる時間は、普通は数秒から数十秒、長い方で1~2分というところでしょうか。例えば45分間瞑想を行うとすれば、空の世界に入る数秒から1~2分間が45分中に何回か繰り返すというのが本当のところです。なお、これは私だけの意見ではなく、その道に達したか方の共通認識です。念のため。
【参考】
「実我の境地は、一刹那である」
「本当にシーンとした気持ちが続くのは、私の場合でも1~2分だね」
中村天風先生の言葉
実際、この世界に入っている瞬間は、身体が仮死状態になることで意識(魂)だけがクリアに活動している状態で、息をすることさえ忘れています。正直、この世界に1分入れる人はまれだと思います。普通は数秒ではないでしょうか。私の場合もだんだんと長くなってきてはいますが、数分というのはまだありません。
ただ、生命エネルギーは一瞬にして注ぎ込まれますので、実際は数秒間の数回の繰り返しで充分にエネルギーが充電されますので、それでも十二分に十分だと言えます。
ここでようやく自分の正体が、身体でも、心でもない、「魂(気の集合体)」なのだと理解することができます。このことを理解していた合気道開祖植芝盛平先生は、「合気道は、霊主体従の武道である」と大本教の言葉を借りて説明されたのだと思います。
【参考】
「肉体は自己そのものではなく、自己の命が所有しているものである。それは、ちょうど着ている服が自分の肉体ではないのと同じである」
「我の本質を自覚するための第一過程は、「自己」と「自己の肉体」の関係と、「自己」と「自己の心」の関係を正しく認識することである」
中村天風先生の言葉
「合気道と悟り(姿勢、丹田、瞑想、空の世界)④」につづく
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【リンク】
◇宮崎合気道会グループ「合気道元徳会」
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◇合気道元徳会道場長コラム「サムライハート」
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