<参考>
八卦掌
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%8D%A6%E6%8E%8C
意拳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E6%8B%B3
特に学んだわけではないのですが、なぜかこの二つの流派に惹かれ研究を続けてきました。
さて、この二つの流派の共通点が面白い。
「型(形・套路)がない」のです。
こう書くと「八卦掌はあのくるくる回る有名な型があるじゃないか?」と言われてしまいそうですね。
でも本質は「型がない!」のです。
八卦掌の各流派を比較したことがある方ならご理解いただけると思うのですが、創始者董海川から学び伝えたという型が円周上を歩くという共通点以外は全くと言っていいほど異なっているのです。
代表的な八母掌という8本の型は、かろうじて1本目と2本目は似ている場合もありますが、3本目以降はまったくのバラバラです。
解き明かす鍵は、同じく「合気道には型がない」と言った合気道開祖の武術の本質論に行き着くようです。
しかし、こう言うと、「合気道には、いつもやっているたくさんの型があるじゃないか!」
‥とお叱りを受けそうですが、本質的には型はなく「理合」しかありません‥。私はそう思っています。
理合とは道理です。
他の表現では、「勝つ道理、勝つ法則」のこと。
合気道の技術の一つひとつは、あくまでその理合の表現でしかありません。
このため、昔の師範の技は「同じ人にならったと思えないほどバラバラ」で、凄く個性的ですね。
しかし、最近は本部系統の動きが多くなっているので、それぞれの師範系列独特の個性は失われつつあるようです。
少し寂しい気もしますが、個性とは一つの癖でもありますので、このことが「良いことなのか? 悪いことなのか?」と聞かれるとて少々難しい問題だと思います。
よく「合気道は剣から生まれた」、「合気道は剣と槍の動き」、「合気道は剣を持てば剣、杖を持てば杖、あらゆる武の再現が可能である」等々、剣などの武器術についての共通性が語られます。
基本的に日本武術は、剣の身体運動を機軸に展開してきたので、もちろん動きは似ています。
‥がしかし、合気道の動きの「全て」が武器術の動きと一致しているとは思えません。
以上のような理由から先進的な師範方が「剣・杖の型」などを合気道の身体運動から開発したり、他の武道(居合、神道夢想流など)を取り入れたりして疑問点を無くそうと努力されています。
面白い取り組みですよね。
私も各師範の講習会等に参加して学んだことがありますが、解釈も個性的でたいへん勉強になりました。
しかし、何かしっくりしない自分がいました。
違和感と言っていいかもしれません。
その後、私も様々な古武道を学び剣・槍・その他の武器術を学びましたが、合気道と一致する部分もあれば、そうでない部分も多く、正直、迷いました。
しかし、境地が高いといわれる古武道流派(剣・槍など)との共通点はやはりある。
それは「理合」です。
勝つ道理だけは共通しています。
このようなことから、合気道は剣の身体運動から生まれたのではなく「合気道は、日本武道の粋である剣と槍の理合から生まれた」というのが正しい表現ではないかと考えています。
結局、合気道というものは「理合だけの武術である」というのが私の考えです。
‥つづく
【リンク】
◇宮崎合気道会グループ「合気道元徳会」
https://sites.google.com/site/gentokukai/
◇合気道元徳会ブログ「合気の舞」
http://gentokukai.blogspot.jp/
◇合気道元徳会道場長コラム「サムライハート」
http://aikido-gentokukai.blogspot.jp/
◇Youtube「Aikido Gentokukai」チャンネル
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