空手で例えると、剛柔流のサンチンや少林流系統のナイファンチ(鉄騎)は、誰が見てもほぼ同じです。
また、形意拳の五行拳、十二形拳も個性はあるがほぼ同じ。
通背拳、八極拳、太極拳‥、風格や速度の違いはあれど、演武を見たらほぼ「これは何拳!」と分かります。
しかし、八卦掌はよく分からない。
円をくるくる回る走圏だけは共通しますが、八卦掌なのに蹴りが主体の流派があるのはまだ許せるほうで、困ったことには地面を転げまわる流派まであったりする‥(笑)
「これはなぜ?」
結局、武名の高い董海川には入門者が絶えなく、しかも入門者は、既に道場主だったり、その道の大家といわれる人物ばかりだったそうです。
このため董海川は、「各入門者が学んできた武術を演武させて、その武術を八卦掌の理合を基軸に再構成させ、そして走圏の法を伝えた」というのが真理のようです。
ちなみに走圏の法とは、歩くタイプの気功法で道教の一派の修練法です。。
武術的効果も高いと思います。
結局、武術の理に合わないところを正してやり、武の道理を理解せしめたということでしょう。
このため、蹴りの多い武術を学んできた入門者の流派には蹴りが多く、また、地面を転がる武術を学んできた入門者の流派は、地面を転がる技が残っているということなのです。
さて、このような話を聞くと植芝先生と神道自然流空手開祖の小西康裕先生の逸話を思い出します。
空手・古武道など様々な武術を修練してきた小西先生、有名な植芝先生に指導を受けることになりました。
植芝先生の前で、空手の型を披露したのですが、植芝先生は納得しない様子‥。
それから、植芝先生の示唆(体さばき)をヒントに型を見直し、再度植芝先生の前で演武することになりましたが、そこでようやく認めていただけたとのことです。
これも、八卦掌開祖董海川の伝説に似ていますね。
お二人ともそれだけ高い境地だったのでしょう。
さて、面白いのが山岡鉄舟先生‥。
自身が印可を受けた剣・禅・書だけでなく、落語家や男芸者(太鼓持ち)などにも指導しており、さらには、なんと明治天皇に帝王学まで授けています。
凄い男がいたものです。
こういう話を聞いて思い出すのが、仙台藩に伝わっていた抜剣(ぬぼこ)影山流の十九世である天野菊之助先生です。
有名な天野先生に既に名の通っていた一刀流の剣客が入門することになりました。
天野先生は、この剣客には、影山流の技は教えることなく、一刀流の型を一本一本演武させ、剣の道理に合わない部分を修正し、影山流の伝書を授けたといいます。
国や時代が異なっても、一芸を極めた名人の見識は同じようです。
資料が乏しいので断言はできませんが、新陰流開祖である上泉伊勢守信綱も同様な指導をされていたような感じがします。
「ある一定の技(理合)の伝授をして、後は勝手にやんなさい」という風に見受けられる気がするのは私だけではないでしょう。
さて、ある古武道の師範が言っていたのを思い出しますが、
演武を見て「あの演武しているのは、○○師範のお弟子さんですね」と見透かされたら、「師範も弟子もつまらない証拠」と言っていました。
極論ですので、このとおりには受け取れませんが、この師範が言わんとすることは、その師範の悪いところについて「本質的なことではない形式的なことを中心に教えていた可能性がある」こと。そして、弟子の悪いところは、「本質的なことを学ばずに師範の悪い癖を学んでいた可能性がある」ことだと思います。
額面どおりには受け取りませんが、これも一つの見識だと思います。
なお、下記のコラムは八卦掌の理解を深めるには、なかなか面白いことが書いてあります。参考までにどうぞ。
<参考>
http://www.h2.dion.ne.jp/~shokubak/baguazhang2.htm
‥つづく
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