以外にも反響が大きく、たくさん質問が届いていますので、参考までにいくつかの質問に回答いたします。
まず初めに「空の世界について、もう少し簡単に教えていただきたい」とのご質問ですが、
空の世界とは、般若心経でいうところの空の世界のことで、一般的には三昧の境地、ヨガの世界では、サマーディとも呼ばれています。ちなみにこのサマーディという言葉が、インドの言葉から漢語になり、日本に伝わり三昧と表現されるようになったようです。
空の世界とは、般若心経でいうところの空の世界のことで、一般的には三昧の境地、ヨガの世界では、サマーディとも呼ばれています。ちなみにこのサマーディという言葉が、インドの言葉から漢語になり、日本に伝わり三昧と表現されるようになったようです。
現在の言葉で説明すると潜在意識の底の底、いわゆる奥底にある世界で、叡智とエネルギーの集合体と呼べる世界です。
この世界に至った人の受け取り方で解釈は異なりますが、仏教では涅槃、神道では黄泉の国、道教では天、キリスト教では神の国、インド哲学ではブラフマン、そして、中村天風先生は宇宙霊と呼びます。
この世界に至った人の受け取り方で解釈は異なりますが、仏教では涅槃、神道では黄泉の国、道教では天、キリスト教では神の国、インド哲学ではブラフマン、そして、中村天風先生は宇宙霊と呼びます。
また、この癒しにあふれたエネルギーのことを、合気道開祖植芝盛平先生は「愛」、イエスキリストは「癒しの力」、老子は「道」と呼びます。いわゆる根源的エネルギーのことですが、人体における生命エネルギー、そして魂(真我)と同質のものです。
次に「悟りとはいったい何ですか」とのご質問ですが、
自分を霊的な場所(空の世界)にいったん置くことで、自分(真我)の本質とは何かを掴むことだと思います。結果的にこの世の本質・目的等々が瞬時に理解できることで。人生上におけるすべてのことに応用可能なので、世事全般に考察・推測が可能になります。
なお、このようなことは知識の上ではすぐに理解できることです。宗教や哲学を齧ったことがある方には常識だと思います。しかし、『実感』できないとダメ、そこに天と地の差がある、そういう感じです。
なお、このようなことは知識の上ではすぐに理解できることです。宗教や哲学を齧ったことがある方には常識だと思います。しかし、『実感』できないとダメ、そこに天と地の差がある、そういう感じです。
次に「瞑想や禅はなんのために行うのですか」とのご質問ですが、
様々な考えがあるとは思いますが、心が霊的な境地(空の世界)に入ると宇宙の根本主体(神)のエネルギーと人間の生命エネルギーが同質なので一体化する。この瞬間、宇宙の根本主体(神)の万能の英知が人間の心に受け入れられることになる。その結果、安心立命の心境が得られ悠々自適な生涯を送ることができる、こういうことだと思います。
次に、「心身の状況の変化」についてのご質問のうち、まずは身体についてお答えしますが、
② 以前は、ストレスが溜まると血圧が上がったような感じがしていたがなくなった。
③ 小周転のラインをブレイクダンスのように動かせる(うねらせる)ようになった。
④ヨガのナウリ(内臓をうねらせること)ができる。当然、腹踊り(笑)も。
次に「心的状況の変化」について、
①問題や課題について、絶妙のタイミングで回答が浮かぶようになった。
②煩悶がまったくなくなり、悠々とした心持で生活を楽しむことができている。
➂とりあえずの人生の目標を達した気がして変なあせりがなくなった。また、今後は余生?という気もしていて、何か社会貢献に努めたいと考えるようになった。
➃心根が正しくなったというか、邪心が無くなった気がする。
➄どんな人もそれなりに良い点があることを認めることが出来るようになった。
⑥以前より随分と心が広くなった気がする。
では、「どのように空の世界に至ったのか。ヒントをいただきたい」とのご質問ですが、今までの人生のうち、このことに影響を及ぼしたのではないかと思うものをとりあえず列記してみます。
振り返ってみると、21歳のころに一度だけ、その世界に入ったことがあります。その後、そのことをずーっと忘れていて、改めて昨年思い出した次第です。
また、私の場合は、空海の「光が飛び込んできた」とか、植芝先生の神秘体験のような経験はありません。徐々に、徐々に心境が進んできて、はっきりと確信できたのが昨年、というところ。
【参考】
参考までに植芝盛平先生の体験について記載します。
大正14年(1925年)、植芝盛平先生は京都府の綾部で修行を行っていました。
ある剣道家の挑戦を受けることになり降参させました。その後、井戸端で水を浴びていたところ、突然大地が鳴動し「黄金の光」に包まれる感覚に襲われたそうです。
この時に、宇宙との一体感を得たことで、宇宙の原理、自然の法則から小鳥や虫の鳴き声の意味までも理解することができたそうで、同時に武道の極意、精神的な悟りを得たとのことです。
「わしは直後、はッと悟り得たように思う。勝とうとして、気を張っては何も視えんのじゃ。愛をもってすべてをつつみ、気をもってすべてを流れるにまかすとき、はじめて自他一体の気・心・体の動きの世界が展開し、より悟りえた者がおのずから、いわゆる勝ちをおさめている。勝たずして勝つ――正(まさ)しく勝ち、吾(われ)に勝ち、しかもそれは一瞬の機のうちに速やかに勝ち、つまりは自他一体、神人一如、宇宙即(すなわち)我なる愛の産霊(むすび)そのものの勝利となる。すなわち、己れ一個の勝ち負けははるかに超越した、武産(たけむす)の神の絶対の勝ちがそれであり、武の道とはそこに到達することをもって至上とする。……まあそのようなことを感得したのではなかろうかな」
(注)以上は、「合気道開祖 植芝盛平伝」(出版芸術社)からの引用です。
【参考】
参考までに植芝盛平先生の体験について記載します。
大正14年(1925年)、植芝盛平先生は京都府の綾部で修行を行っていました。
ある剣道家の挑戦を受けることになり降参させました。その後、井戸端で水を浴びていたところ、突然大地が鳴動し「黄金の光」に包まれる感覚に襲われたそうです。
この時に、宇宙との一体感を得たことで、宇宙の原理、自然の法則から小鳥や虫の鳴き声の意味までも理解することができたそうで、同時に武道の極意、精神的な悟りを得たとのことです。
「わしは直後、はッと悟り得たように思う。勝とうとして、気を張っては何も視えんのじゃ。愛をもってすべてをつつみ、気をもってすべてを流れるにまかすとき、はじめて自他一体の気・心・体の動きの世界が展開し、より悟りえた者がおのずから、いわゆる勝ちをおさめている。勝たずして勝つ――正(まさ)しく勝ち、吾(われ)に勝ち、しかもそれは一瞬の機のうちに速やかに勝ち、つまりは自他一体、神人一如、宇宙即(すなわち)我なる愛の産霊(むすび)そのものの勝利となる。すなわち、己れ一個の勝ち負けははるかに超越した、武産(たけむす)の神の絶対の勝ちがそれであり、武の道とはそこに到達することをもって至上とする。……まあそのようなことを感得したのではなかろうかな」
(注)以上は、「合気道開祖 植芝盛平伝」(出版芸術社)からの引用です。
振り返れば、小学生の頃、野球少年だったのですが、人材不足から水泳大会にも出なければならず、毎日両方を練習していました。しかし、私の欠点でスタミナがなく、常に疲れていた状態‥。その頃読んだ小学生用のヨガの本(確か豆たぬきの本というシリーズ)で、疲れがとれる「死骸のポーズ」を必死に独習しました。
それから、大学生の頃は苦学生でしたので、学業と仕事(深夜までの勤務)を両立させるために、この「死骸のポーズ」を必死にやりました。すると睡眠時間が短時間でも生活ができるようになり、私にとっては、不可欠なツールとして現在まで行ってきています。なお、21歳頃に一度空の世界に入ったことがあるといったのも、この頃のことです。
その後、社会人になり、疲れた時、寝る時間があまりない時は、睡眠前に行ってきました。私の場合は、癖になっていたというほうが正解のようです。この頃から、経験上、肥田式強健術の腹胸式呼吸法を2~3回やってから、この死骸のポーズに入るとさらに効果的だと分かり、併用して行ってきました。目覚めがいいですね。全然違います。
最近気づいたのですがこのように、ヨガの世界では奥義であり、一番難しいと言われているシャバアーサナ(死骸のポーズ)を知らず知らずに人生の糧にしていて、結果的に40数年間独習してきたようです。これがよかったのかは分かりません。しかし、何らかの影響があったのは間違いないようです。
また、合気道家のMさんから20代の頃に立禅を学び、少しずつですが続けてまいりました。ただ、100%毎日やったか?というと、まったくそのようなことはなく、思い出した時にやる感じで、熱中してやる時期もあれば、しばらく忘れていて、思い出したように始めるというのが正直なところです。
しかし、10年前に道場を建設した時から、稽古場所の確保ができたこともあり、実施率?は高まったように思います。また、20代の頃には分からなかった「気持ちよさ」「爽快感」「活力が増す感覚」を覚えるようになり、だんだんとやめられなくなったというのが本当のところす。
実は以前から、座禅や座っての瞑想にも取り組んでいたのですが、始めたころは、気持ちよさをあまり感じることができないことから、立禅を主として行ってきました。
立禅が深まり、立った状態で「深い深い静けさ」を感じることができるようになった頃から、ようやく座っても同じように「深い深い静けさ」を感じることができるようになりました。
座禅(座っての瞑想)、立禅どちらがいいかと問われれば、もちろん人それぞれなのでしょうが、現在は、座禅のほうがより深い世界に入れる気がしています。
座禅(座っての瞑想)、立禅、死骸のポーズ(臥禅?)、いずれも最終の目的は同じだと思いますが、それぞれ欠点があります。その人が楽なポーズが一番です。
座禅(座っての瞑想)は、足が短い日本人にとって、重心が安定しにくいという欠点があります。重心が安定しないと身体を脱力することが叶わないことから仮死状態に至らないため、深い静けさを味わうことがかないにくいです。また日本人(特に合気道家)には正座(金剛座)だと重心が安定しやすいのですが、足がしびれやすく長時間座れないという欠点もあります。
立禅は、丹田が理解できた方には深い静けさの世界に入りやすいのですが、丹田が理解できない方は、やはり重心が安定しにくく、また、人によっては「立ったまま瞑想できるわけがない! 倒れるやないか(笑)」という思いが強い方が意外に多いようです。意識の転換が必要ですね。
死骸のポーズは一番簡単ですが、眠ってしまいやすい(笑)という悲しい欠点があります。
現在は、座っての瞑想、立っての瞑想、死骸のポーズをその日の気分で行っていますが、その深い深い静けさのまま合気道の稽古を行うよう努めています。
以上、参考になるかは分かりませんが、ご質問の回答になります。
「合気道と悟り(姿勢、丹田、瞑想、空の世界)➄完」につづく
https://aikido-gentokukai.blogspot.com/2020/05/blog-post_5.html
【リンク】
◇宮崎合気道会グループ「合気道元徳会」
https://sites.google.com/site/gentokukai/
◇合気道元徳会ブログ「合気の舞」
http://gentokukai.blogspot.jp/
◇合気道元徳会道場長コラム「サムライハート」
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◇YouTube「Aikido Gentokukai」チャンネル
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