宮崎県西都市を中心に活動している宮崎合気道会グループ「合気道元徳会」道場長による武道コラム - サムライハートSamurai Heart。私達は、合気道の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたいと考えています。興味のある方は、ぜひ一度見学にお越しください。詳細は、合気道元徳会のホームページをご覧ください。

2016年11月28日月曜日

合気道と天風哲学9

 本来は善・悪などに実体はありません。なお、これは哲学的意味ですので念のため…。
 また、この点を勘違いすると某宗教のような誤った教義が生まれますので注意が必要です。


 ‥続けますが、培ってきた価値観が様々な現象を「善・悪」等に振り分けることが様々な面で悪因となります。


 物事に善や悪を当てはめて考えることは、本来は必要がないのです。


 もちろん、ありのままの事実をそのまま真っ直ぐに見ることは必要で、そのありのままの事実に対して培ってきた人生哲学で対応・対処していかなければなりません。


 事実に対し、余計な思想や感情を入れないで、過剰反応せずに、やり過ぎず、かつ足りなくもなく、本当の意味の適当に対処することが必要だということを言いたいのであって、物事を二面に分けて(差別)判断せずに、事実をありのままに見ることが大事だということです。


 参考までに無差別智に至っていたタイ捨流の流祖は、このことを伝書に次のように書き残しています。


 「『善悪、邪正及び迷悟などは全て一つに帰す』。まさにこの理は剣の道理であり、これを流儀の本源と成す‥」 タイ捨流極意書より


 私の継承するタイ捨流剣法の流祖もこの境地に辿り着かれており、このことの重要性を後世の者に伝えようとされたようです。ありがたいものですね。

 
 さて、話は変わりますが、ここにいったん至ると、「初めて読んだ難解な哲学書の意味が分かったり」、「お経を聞いているだけで内容がピン!と理解できたり」、「様々な宗教の教義の意味が直感的に理解できたり」、「禅の公案の意味が理解できたり」します。


 禅の世界に「十牛図」なる意味不明(笑)な図がありますが、それを無差別智に至った後に見ると「なるほど!」と見た瞬間に理解できるようになります。


 ‥不思議なものです。


 ここで大事なポイントをもう一度復習!


 ●差別智とは、善・悪など、物事を二つに分別(差別)し、理解する知恵のこと。

 ○無差別智とは、差別智を超越し、物事を分けて(無差別)考えない智慧のこと。


 ‥であり、無差別智に至れば、自我のサングラス(フィルター)をかけて物事を見ることがなくなりますので、物事がありのままに見えるようになります。このことを『覚醒』と表現する場合もあります。


 また、武道では、このことを単に「自然体」と呼んでいますが、これでは本来の意味が分かりにくいので、現代では「超自然体」(笑)、若しくは「真の自然体」と表現した方が良さそうです。


 しかし、いったんこの境地に至っても、悟後の修業が中途半端であれば、再び自我のサングラスをかけることになりますので注意が必要ですね。


 最後にやはり無差別智に至っていたと考えられる示現流の流祖東郷重位が師より教わった道歌を紹介します。


 「稽古とて ほかに求むる道もなし 心の塵をはらうばかりぞ」 示現流道歌


 きっと無差別智に至るだけでなく、悟後の修業の大事さを後世の方に伝えたかったのでしょう。


 ‥つづく


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2016年11月21日月曜日

合気道と天風哲学8

 質問です。
 「包丁は、善と悪のいったいどちらでしょう?」


 例えば、包丁で脅された経験がある場合や怪我をした(させられた)経験を持つ人は「悪」と答えるかもしれません。


 両親が料理人だったり、家庭で美味しい料理を食べて育った人は「善」と答えるかもしれません。


 でも、答えは簡単。


 善と悪のどちらでもありませんよね。


 包丁は、食材を切断または加工するための刃物で、調理器具の一種でしかありません。


 次の質問です。
 「ダイナマイトは、善と悪、どちらでしょう?」


 ‥これももちろん、善と悪のどちらでもありませんよね。


 ダイナマイトで人を殺すことや大事にしているものを破壊することはできますが、同時に産業用としてもたいへん有効で、これまで、世界中の土木開発行為で活躍してきました。


 ダイナマイト自体は、ニトログリセリンを主体とする爆薬であり、それ以上でも、それ以下でもありません。


 ここに感情移入してしまうと、ダイナマイト対して、怖く悲しい思い出しかない人は「悪」と表現し、土木関係者は社会に必要なものと考え「善」と判断する場合もあるでしょう。


 物事を正しく見ることを仏教では、「正見(しょうけん)」と言い、この正しい見方に基づく真実を認識することを「如実知見(にょじつちけん)」といいます。


 分かりやすく言うと「物事をありのままに見る」ということ。
 残念なことに、普通はこのことができないのです。


 仏教の「八正道」の筆頭に掲げられる「正見」の本質はここにあります。


 なお、これは、「八正道は全て『正見に納まる』」とされ、八正道の筆頭に挙げられるほど大事なポイントです。


 この正見を理解することが、仏教の本質を理解するための早道だと思われます。


‥つづく

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2016年11月14日月曜日

合気道と天風哲学7

 難解ですが、仏教哲学について少し書いてみますね。


 私の拙い文章力でどこまで伝えられるか分かりませんが、可能な限り分かりやすく解釈してみます。


 それではまず、先週の続きで「差別智」と「無差別智」の理解を…。


 『差別智とは?』
 普通の人が物事を認識し理解する能力。分別智(ふんべつち)とも言う。
 常に善と悪、有ると無い、陰と陽、○と×など、対立する概念で分析・区別して判断する普通の人の知恵のこと。


 『無差別智とは?』
 仏の智慧、無分別智(むふんべつち)とも言う。
 差別智を超越し、物事を正しく見る能力。ちなみに「仏とは、完全な智慧を得た者」のこと。簡単にいうと悟った人の智慧のこと。


 なお、無差別智は、上記が転じて直感的にひらめく智慧のことを指す場合もあります。


 さて、人間という生き物は、“基本的に”生きてきた過程、教育、親の考え方などで、善・悪、正・邪などの基準を徐々に身に着けていくものです。


 しかし、本来は、善・悪、正・邪など、これらに「実体はない」のです。
 ここが大事なポイント!


 その人の培ってきた価値観などがそれを善か悪か、正か邪に振り分けるだけなのです。
 よくある例としては、それらを「好き・嫌い」だけで判断している場合もありますね。


 それはさておき重要なのは、「実体がない」ことが「ピーン!!」と理解できた瞬間がいわゆる『悟りの瞬間』であり、かつ『無差別智に至った瞬間』だということなのです。


 「悟り」とは、本来は『「差」取り』の意味で、それまで、ただの現象だけでしかない物事に対して、善悪・正邪等々に分別(差)して判断していたものが、その瞬間から、物事をありのままに、そのままに見ることができるようになるということ。


 ここに触れ得た瞬間から、ようやく物事が正しく見えるようになるのです。


 それまでは、サングラス(自我のフィルター)をかけて物事を見ているような感じと言えば良いのか…。


 表現はイマイチかもしれませんが、まぁ、遠からずだと思います。


‥つづく


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2016年11月7日月曜日

合気道と天風哲学6

 「道に迷う‥」、辛いことですよね。


 ちなみに私は自慢じゃないですが、道に迷うのは大得意V!で、昔から迷いっぱなしです。今まで途方もなく迷ってきましたし、きっと今も迷っているのでしょう。


 ちなみに小学生の頃から二十歳前後まで悩んでいたのが、「善悪の基準が分からない」(笑)ということ。


 これが理由で、多分、近所の方にはおかしな子だと思われていたようです。
 …記憶をたどると、どうもそう思われていたフシがある(笑)


 躾が厳しい家庭でしたので、もちろん一般的な善悪の基準は理解していました‥、しかし、その善悪の基準というものは、時と場合と場所でまったく異なる。


 また、日本の常識は世界の非常識だったりするのは、このグローバルな時代ではこれまた常識…。


 それでは、「善と悪の基準って何なの?」


 「善と悪の基準って、あくまで人間の決めたルールであって、地球全体に通じるルールではない‥」。


 もちろん、殺人、盗み等々、誰にでもわかる悪いと言えることは多々あります。
ここで言っているのは哲学的な意味ですので、ご理解を‥。


 その回答が出たのは、二十歳前後の頃だった気がします。


 「善と悪、正と邪などには、本来は実体なんてないんだ‥」


 その後、社会人となり就職しましたが、職場の上司が仏教系の大学卒で、しかもお寺の跡継ぎで住職でもあったため、雑談時にその話をしてみました。すると‥。


 上司:「‥うーん、差別智と無差別智って知っている‥」。


 私:「???、何のことですか?」


 上司:「それは無差別智に至る訓練を幼少の頃から行っていたことと同じだね。うーん…」。


 私:「???」


 この「善や悪や正や邪に本来は実体がない」ということ‥、これは、仏教の悟りに関する重要な内容だったようです。


‥つづく


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