本来は善・悪などに実体はありません。なお、これは哲学的意味ですので念のため…。
また、この点を勘違いすると某宗教のような誤った教義が生まれますので注意が必要です。
‥続けますが、培ってきた価値観が様々な現象を「善・悪」等に振り分けることが様々な面で悪因となります。
物事に善や悪を当てはめて考えることは、本来は必要がないのです。
もちろん、ありのままの事実をそのまま真っ直ぐに見ることは必要で、そのありのままの事実に対して培ってきた人生哲学で対応・対処していかなければなりません。
事実に対し、余計な思想や感情を入れないで、過剰反応せずに、やり過ぎず、かつ足りなくもなく、本当の意味の適当に対処することが必要だということを言いたいのであって、物事を二面に分けて(差別)判断せずに、事実をありのままに見ることが大事だということです。
参考までに無差別智に至っていたタイ捨流の流祖は、このことを伝書に次のように書き残しています。
「『善悪、邪正及び迷悟などは全て一つに帰す』。まさにこの理は剣の道理であり、これを流儀の本源と成す‥」 タイ捨流極意書より
私の継承するタイ捨流剣法の流祖もこの境地に辿り着かれており、このことの重要性を後世の者に伝えようとされたようです。ありがたいものですね。
さて、話は変わりますが、ここにいったん至ると、「初めて読んだ難解な哲学書の意味が分かったり」、「お経を聞いているだけで内容がピン!と理解できたり」、「様々な宗教の教義の意味が直感的に理解できたり」、「禅の公案の意味が理解できたり」します。
禅の世界に「十牛図」なる意味不明(笑)な図がありますが、それを無差別智に至った後に見ると「なるほど!」と見た瞬間に理解できるようになります。
‥不思議なものです。
ここで大事なポイントをもう一度復習!
●差別智とは、善・悪など、物事を二つに分別(差別)し、理解する知恵のこと。
○無差別智とは、差別智を超越し、物事を分けて(無差別)考えない智慧のこと。
‥であり、無差別智に至れば、自我のサングラス(フィルター)をかけて物事を見ることがなくなりますので、物事がありのままに見えるようになります。このことを『覚醒』と表現する場合もあります。
また、武道では、このことを単に「自然体」と呼んでいますが、これでは本来の意味が分かりにくいので、現代では「超自然体」(笑)、若しくは「真の自然体」と表現した方が良さそうです。
しかし、いったんこの境地に至っても、悟後の修業が中途半端であれば、再び自我のサングラスをかけることになりますので注意が必要ですね。
最後にやはり無差別智に至っていたと考えられる示現流の流祖東郷重位が師より教わった道歌を紹介します。
「稽古とて ほかに求むる道もなし 心の塵をはらうばかりぞ」 示現流道歌
きっと無差別智に至るだけでなく、悟後の修業の大事さを後世の方に伝えたかったのでしょう。
‥つづく
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