結局、石ころの投げあいや棒切れなどを持っての戦いに始まった闘争が、集団になることで戦争になり、敵より強い武器や戦術を開発することで戦闘能力を上昇させ続けていく。
21世紀である現代は、その過程で核爆弾・化学兵器の開発に至り、悲しいことに自らがその脅威にさらされ続けている・・・。
愛するものや家族、そして、国家を守るため、また、誇りを失わないため“戦闘能力を上昇させ続ける”という殺し合いの螺旋に陥り、ついには、核兵器の開発に至ってしまったのでしょう。
フランケンシュタインを創った科学者の「こんなはずじゃなかった」という嘆きに似ていて、なんともやりきれない気がします。
しかし、悪い面ばかりでもありません。
ヒッタイト人による鉄の発明や中国での火薬の開発、そしてインターネットが米国の国防総省による軍事目的での開発が趣旨だったなど、人類に大いに貢献してきた歴史であるとも言えます。
それはさておき、人類の歴史は戦争の歴史と言われるように、この“殺し合いの螺旋”から抜け出ることは容易なことではなさそうです。
さて話は変わりますが、なんでも幼少の頃、自分がいじめた(全く記憶にない)らしい相手から数十年後の同窓会の席で「やまいもを掘られる」(酒の席で絡まれるという意・宮崎弁)ことでもその難しさがよく理解できます(笑)
少し脱線しましたが、日本では、戦国乱世に生きながら、在る時、この殺し合いの螺旋の無意味さや滑稽さに気がつき、相対的な術を越えることで法を志向し、武術を兵法、そして道へと昇華させた人物がいました。
その代表的な人物として、新陰流兵法を創造し剣聖といわれた上泉伊勢伊守藤原信綱 がいます。
さて、この昇華させた過程について、新陰流・武術探求会の前田英樹氏は下記のように述べています。
「ある術を身につけて少しでも達者なほうが勝つとか、ちょっとでも油断したら負けだとか、あるいは石につまずいたら負けだとか、そんなことで命を捨てるというのはやり切れない。そういうことだったと思うんですよ。
たとえば誰かがある技を編み出した。それに対して別の者がそれに対抗する技を考える。または、上回る技を考える。
技術と言うものは際限なく更新されていくんです。心理戦にしたってそうです。技術の相対性から抜け出せない。いったいどうすればこの世界から脱出できるのかそういう一種の祈りに似た思いから、兵法が生まれたのだと思います」
この「なんともやりきれない気持ちや一種の祈りに似た思いから兵法が生まれた」という表現は哲学科の教授らしく、たいへんわかりやすく、これ以上にない素晴らしい表現ですね。
‥つづく
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