このようなことで、“空間的な崩し”には、いわゆる「読み」という技術が最も必要になります。
いわゆる心眼が開く必要があると言うこと。
ここでようやく「一眼、二足、三胆、四力」の順番の重要性が理解できることになります。やはり、目が大事!
この「読み」には、①「相手の構えや体勢の崩れなどから相手の攻撃を把握する技術」と、②「観の目といわれる一種の予知能力に近い、相手の攻撃が未発のうちに理解できる技術」に分かれます。
なお、「観の目」(感性の目、心を読む目)とは、「自分の心で、相手の心を感じる」手法だと考えています。
ご存じの方も多いと思いますが、合気道開祖植芝盛平先生の逸話として、銃弾を避けることができたというものがあります。
内容は、「弾が飛んでくる前に“黄金の弾(玉ではない)”が飛んでくるので、これをよければいいんじゃ」という話ですが、私は、この観の目の延長線上にあるものではないかと考えていますが、皆さん、いかがお考えでしょうか。
それでは、「観の目」はどのようにしたら身につけられるのでしょう?
これについて、古武道の伝書などで書かれているものを集約し現代語に訳しますと下記の通りになります。
それは、「姿勢を整え、思考回路を縮小し、耳を澄ましていくことで、脳内ではその瞬間、何者にもとらわれずに集中しきっている状況が生まれる。これを持続させていけばよい」ということです。
皆さん、禅と似ていると思いませんか。
きっとこのような理由で、禅との密接な関係が生まれたように思われます。
また、一見意味の分からない短い言葉を唱え続けることでも同様の効果が生じるようです。
祝詞や念仏などを唱え続けてみるとよくわかりますが、いつの間にか何も考えていないような状態が生じます。
このことを私は、タイ捨流で悟りました。
なお、私には科学的な説明はできませんが、このような状態を維持し続けることで、その瞬間は目標対象物に対する感度が上昇するようです。
しかし、「澄み切り」(明鏡止水)の状態から、心が少しでも動揺した時点でその感度は急降下します。
このことを表現した言葉、
「濁り江にうつらぬ月の光かな」 善吉和尚
そして、このことの重要性に気づいた人の言葉、
「稽古とて外に求むる道もなし 心の塵を払ふばかりぞ」 示現流兵法
‥つづく
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