宮崎県西都市を中心に活動している宮崎合気道会グループ「合気道元徳会」道場長による武道コラム - サムライハートSamurai Heart。私達は、合気道の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたいと考えています。興味のある方は、ぜひ一度見学にお越しください。詳細は、合気道元徳会のホームページをご覧ください。

2016年8月8日月曜日

戦氣

 「戦氣」(せんき)。


 宮本武蔵の書が有名ですね。


 戦いに臨んだときの気迫を表現している言葉と言われています。



 武蔵の書は、この戦氣の後に「寒流帯月澄如鏡(かんりゅうつきをおびてすむことかがみのごとし)」という唐代の詩人白楽天の詩の一句を付け加えています。


 冷たい冬の夜、川面に映る月が鏡のように澄みわたっているという意味でしょう。きっと、澄みわたる心の状態が戦気に通じるといった意味で書かれたのでしょうね。


 いわゆる合気道における「すみきり」の境地。


 この置物は、今は亡き書道家の押川仁さんから道場開きのお祝いにいただいたお気に入りの品です。


 大事にします。



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2016年8月1日月曜日

男の順序

 先日、テレビで明治維新の志士たちが学んだ剣術として薬丸(野太刀)自顕流が紹介されていました。


 私も生で、幾度となく拝見しましたが、たいへん迫力があります。


 特に青少年の心と身体を練り上げるのには、とても素晴らしい剣術だと感じています。




 さて、話は変わりますが、薩摩と聞いいて、久しぶりに「薩摩の訓え『男の順序』」を思い出しましたので紹介します。


【薩摩の訓え ~ 男の順序】

  一 何かに挑戦し、成功した者
  二 何かに挑戦し、失敗した者
  三 自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
  四 何もしなかった者
  五 何もせずに批判だけしていた者


 同じ九州人だからなのでしょうか?


 この格付けは適当だと感じますが、皆さんはどのように感じましたでしょうか。



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2016年7月25日月曜日

剣の法(Ken no nori)

 「剣の法(Ken no nori)」



 ‥勝つことを活かすことに、殺すことを創ることに‥。


 ありがたい‥。


 上級者向けでたいへん難解な本ですが、久しぶりに面白い本に出会えました。


 立教大学教授で新陰流武術探究会を主宰されている前田英樹先生の著作です。


 でもこの本、注意が必要です。


 前田先生独特の哲学者のような説明と武術的専門用語の多さから、人によっては、まったく面白くない(笑)はずです。


 前田先生の本は、「剣の思想」、「宮本武蔵五輪の書の哲学」、「独学の精神」、「倫理という力」などを通じて多々影響を受けてきましたが、私にとっては、群を抜いてこの本は面白いと感じています。


 年齢を重ねるごとに様々な理由から、薄っぺらな書籍は読むに堪えなくなります。こんなに考えさせられた本は久しぶりですね。


 さて、御存じのとおり、タイ捨流剣法は、元々は新陰流です。


 タイ捨流は、新陰流二十世の柳生厳長師範が雄一認めた「新陰流の正統」(著書 正傳新陰流より)でもあります。なお、その他の新陰(影)流を名乗る流派は一切正統だとは認めていないようです。


 私は、タイ捨流も新陰流も縁により結果的に学ぶことになりましたが、両方を学んだことで、「なぜこのような動きをするのか?」等々、形骸化していると思われる部分の解読にたいへん力になりました。


 最後に‥、新陰流も世界に誇れる素晴らしい剣術ですよ。



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2016年7月19日火曜日

三世一貫の理(タイ捨流武道哲学)

 参考までにタイ捨流剣法の哲学「三世一貫の理」を紹介します。


 多分、タイ捨流の歴史において初めて発表するものだと思いますが、たいへん重要な内容ですので、ぜひ覚えてください。


 きっと、人生において何か重要な判断をしなければならない時の指針になると思いますよ。


 なお、タイ捨流等の伝統武道、若しくは古武道と言われるものには、生死の境を垣間見た先人たちの素晴らしい教え、哲学、智慧が残っていることに驚かされます。


 私もずいぶん助けられましたし、今も助けられています。


 内容については、多少宗教哲学的になります。


 なお、このような話にアレルギーがある方もいらっしゃるとは思いますが、そのような方には必要のない教えですので、ここから先は読み飛ばしてください。



 さて、「三世一貫の理」とは何か?


 「人は必ず死ぬ『生き物』である。


 人とは、物質体と意識体、つまり『肉体と意識体(魂・心)』それぞれ存在する次元の異なる世界を越えて合一したものであり、死とはその物質体のみが消耗しつくした状態のことをいう。


 物質体は、有限な存在で所謂消耗品である。


 意識体は、人の死と共に亡くならない無限な存在である。


 この意識体(魂)は、自我滅却を目的とした経験を積むためにこの人間界に修業に来るが、有限な存在の物質体(肉体)が消耗しつくし死を迎える。


 意識体は、『一般的に』来世へ向かうために一旦は中間世へ向かい、その後来世へ生まれ変わる。


 『一般的に』と表現したのは、人間界の修業が完了した人は、生まれ変わる必要がなくなるためである。


 次に『過去世-現世-来世』、若しくは、『現世-中間世-来世』のことを三世という。


 この法則を理解し、人生の判断基準の一つとして活用して、三つの世を一貫して生きることで初めて正しい人生を生きぬくことが可能になり、真に生き生きとした人生、前向きで積極的な人生を歩めるようになる。


 この法則・原理を理解し、人生を達観しなさい。」


  ‥ということ。 このことを『三世一貫の理』といいます。


 信じる、信じないは皆さんの自由です。


 なお、合気道開祖は、「この合気道において禊をし、精神の立て直しをするのです。『この肉体は黄金の釜』であります。霊魂をつくり直すことができるのです。」と話されています。


 人間界に修業に来た魂を練り直すために必要な肉体のことについて、このように表現されたのだと思いますが、皆さんは、どのようにお考えでしょうか。



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2016年7月11日月曜日

日本人は幸せなのだろうか‥

 清貧な暮らしぶりから、「世界一貧しい大統領」と呼ばれていたウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカさんが来日されました。


 そして、訪問した大学での講演での言葉。


 「人生で最も重要なことは勝利することではなく、転ぶたびに起き上がることです。そして、自分の意思を持って生きることです」、


 そして、日本人について一言、


 「日本人は、勤勉で地とても優しい。しかし、若者は夢を持てなくなっていると聞きました。果たして日本人は幸せなのだろうかと自問しました」、とのことです。


 私の海外を巡っての感想では、日本ほど安全で快適に生活できる国はありません。


 しかし、幸福は本人の心の尺度の問題。


 結局のところ、「道ばたに花が咲いた」、「今日の夕焼けがきれい」、「ちょっとした気遣いを喜ばれた」など、小さなことに感謝できる人が幸せなんだろうと思います。


 宗教家が「感謝!」をよく口にされるのもこういった理由からでしょうね。


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2016年7月4日月曜日

非切の太刀5(終わり)

‥前回からの続き


 武道において、人を投げたり、痛めたりするという段階も必要なのかもしれませんが、結局のところ、真の武道では、そのようなことは二の次です。


 真の武道とは、明鏡止水の境地を求め、無心で修練し心身を浄化することが目的です。


 結果、武道は、神道における「禊」と同じ概念になるのでしょう。


 ここが理解できて初めて、「最大の敵は自分自身の心‥」という意味が理解できることでしょう。


 道とは、常に正しい心の状態を求めるものですが、大事なことは、いったんこの正しい心の状態、「真の自然体」に至ったならば、「心がもともと持っていた働きを取り戻し、本来の活動を始めだす」ということです。


 これを私は、「魂の発動」と呼んでいます。


 どのような現象が起きるかと言いますと、「落ちる飛行機には乗ら(れ?)なくなる」、「ネズミ取り(警察の取り締まり)にはかからない」、「なんとなく振り返ったら事故から免れた」等々、テレビや雑誌で「奇跡」と紹介されているようなことが身の回りで起こり始めます。


 そして、自然体の人は決して騙すことはできませんので、「なんとなく怪しい人、危険!」と感じて、詐欺などには一切ひっかからなくなります。


 これは、心が持っている本来の機能であり、十悪が心の機能を発揮させなくしていただけです。非切りの太刀を習慣化することで、この機能が蘇ります。


 そして、この心の状態を維持し続けると、このようなことは日常茶飯事になり、当人にとっては奇跡なんかではなく当たり前のことに感じることでしょう。


 最後に‥、合気道界では、このような「邪心をはらい清めた精神状態」のことを『魂の比礼振り』(こんのひれぶり)と呼び、転じてこの精神状態から発する自己防御作用(魂の発動)のことも同様に“魂の比礼振り”と表現します。


 この“魂の比礼振り”は、剣でいうところの、一刀流の「夢想剣」や直心影流の極意である「直心」と同じものだと私は見ています。


 非切の太刀とは、心の非を斬る太刀、


 最後の敵はあくまで自分の心‥、日々是修業ですね(笑)


‥終わり


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2016年6月27日月曜日

非切の太刀4

 自分の心が「青空」状態になっていない場合は、下記1~3のいずれかが該当すると思われますので、その内容に応じて対処します。なお、1~2の解消法については、既に前述しました。


 1.生命エネルギーが不足(赤字)している場合
 2.ショッキングな出来事に遭遇した場合や燃え尽き症候群に陥った場合
 3.十悪により心が曇っている場合


 上記の「3」に該当する場合は、客観的に自分の心を観察し、十悪「我慢、過信、貪欲、怒り、恐れ、危み、疑い、迷い、侮り、慢心」が心を曇らせていないかを照らし合わせます。


 十悪が関係していると判断できれば、その原因を探り、自身の心を納得させる作業を行います。逐一コツコツと実践するのがコツなのですが、やりすぎると精神的に病む恐れがあるので、初めの頃は習慣(癖)にしていく程度の意識でやるのがよいと思います。


 次は、心を曇らす原因を作らないよう「何をするにおいても、そこに感情をはさまない訓練」をします。例えば、「あれやっといて‥」と言われた場合、素直に「はい」と行動に移し、一瞬も「面倒だな‥」とか「いいよなー、言うばっかりで‥」とは一切考えない(笑)工夫(修業)をする。これを「超作」と言います。


 そして、最終的には、敵を前にしても真っ新な心境で対峙できるか? 常に明鏡止水の境地で技が練れるか? そこのところを武道で練りに練ります。ここが武道の妙味だと思います。一番難しく、一番面白いところです。


 一度そこに至ったら、武を練りながら心を綺麗にするという作業が主になってくるので、武道は全て「練武洗心」が稽古の中心になるはずです。なお、ここに至った人が「道を歩む人」と言えます。


 そして、これが合気道が競技を行わない大きな理由の一つです。
 競技を行う武道、若しくはスポーツは、武道本来の目的である「明鏡止水の境地を目指すこと」や「見性悟道」など、最も大事なこの点が疎かになりやすく、また、勝ち負けにとらわれすぎるなど、さらに業(ごう)を増やす結果になりがちなので注意が必要です。


 これは競技武道がダメというわけではなく、要は塩梅の問題です。


 また、競技を行わない武道がよいというわけでもなく、この場合も現実から乖離していくなど問題も多々あるようです。


 ‥つづく(次回で終了)




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