宮崎県西都市を中心に活動している宮崎合気道会グループ「合気道元徳会」道場長による武道コラム - サムライハートSamurai Heart。私達は、合気道の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたいと考えています。興味のある方は、ぜひ一度見学にお越しください。詳細は、合気道元徳会のホームページをご覧ください。

2016年11月21日月曜日

合気道と天風哲学8

 質問です。
 「包丁は、善と悪のいったいどちらでしょう?」


 例えば、包丁で脅された経験がある場合や怪我をした(させられた)経験を持つ人は「悪」と答えるかもしれません。


 両親が料理人だったり、家庭で美味しい料理を食べて育った人は「善」と答えるかもしれません。


 でも、答えは簡単。


 善と悪のどちらでもありませんよね。


 包丁は、食材を切断または加工するための刃物で、調理器具の一種でしかありません。


 次の質問です。
 「ダイナマイトは、善と悪、どちらでしょう?」


 ‥これももちろん、善と悪のどちらでもありませんよね。


 ダイナマイトで人を殺すことや大事にしているものを破壊することはできますが、同時に産業用としてもたいへん有効で、これまで、世界中の土木開発行為で活躍してきました。


 ダイナマイト自体は、ニトログリセリンを主体とする爆薬であり、それ以上でも、それ以下でもありません。


 ここに感情移入してしまうと、ダイナマイト対して、怖く悲しい思い出しかない人は「悪」と表現し、土木関係者は社会に必要なものと考え「善」と判断する場合もあるでしょう。


 物事を正しく見ることを仏教では、「正見(しょうけん)」と言い、この正しい見方に基づく真実を認識することを「如実知見(にょじつちけん)」といいます。


 分かりやすく言うと「物事をありのままに見る」ということ。
 残念なことに、普通はこのことができないのです。


 仏教の「八正道」の筆頭に掲げられる「正見」の本質はここにあります。


 なお、これは、「八正道は全て『正見に納まる』」とされ、八正道の筆頭に挙げられるほど大事なポイントです。


 この正見を理解することが、仏教の本質を理解するための早道だと思われます。


‥つづく

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2016年11月14日月曜日

合気道と天風哲学7

 難解ですが、仏教哲学について少し書いてみますね。


 私の拙い文章力でどこまで伝えられるか分かりませんが、可能な限り分かりやすく解釈してみます。


 それではまず、先週の続きで「差別智」と「無差別智」の理解を…。


 『差別智とは?』
 普通の人が物事を認識し理解する能力。分別智(ふんべつち)とも言う。
 常に善と悪、有ると無い、陰と陽、○と×など、対立する概念で分析・区別して判断する普通の人の知恵のこと。


 『無差別智とは?』
 仏の智慧、無分別智(むふんべつち)とも言う。
 差別智を超越し、物事を正しく見る能力。ちなみに「仏とは、完全な智慧を得た者」のこと。簡単にいうと悟った人の智慧のこと。


 なお、無差別智は、上記が転じて直感的にひらめく智慧のことを指す場合もあります。


 さて、人間という生き物は、“基本的に”生きてきた過程、教育、親の考え方などで、善・悪、正・邪などの基準を徐々に身に着けていくものです。


 しかし、本来は、善・悪、正・邪など、これらに「実体はない」のです。
 ここが大事なポイント!


 その人の培ってきた価値観などがそれを善か悪か、正か邪に振り分けるだけなのです。
 よくある例としては、それらを「好き・嫌い」だけで判断している場合もありますね。


 それはさておき重要なのは、「実体がない」ことが「ピーン!!」と理解できた瞬間がいわゆる『悟りの瞬間』であり、かつ『無差別智に至った瞬間』だということなのです。


 「悟り」とは、本来は『「差」取り』の意味で、それまで、ただの現象だけでしかない物事に対して、善悪・正邪等々に分別(差)して判断していたものが、その瞬間から、物事をありのままに、そのままに見ることができるようになるということ。


 ここに触れ得た瞬間から、ようやく物事が正しく見えるようになるのです。


 それまでは、サングラス(自我のフィルター)をかけて物事を見ているような感じと言えば良いのか…。


 表現はイマイチかもしれませんが、まぁ、遠からずだと思います。


‥つづく


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2016年11月7日月曜日

合気道と天風哲学6

 「道に迷う‥」、辛いことですよね。


 ちなみに私は自慢じゃないですが、道に迷うのは大得意V!で、昔から迷いっぱなしです。今まで途方もなく迷ってきましたし、きっと今も迷っているのでしょう。


 ちなみに小学生の頃から二十歳前後まで悩んでいたのが、「善悪の基準が分からない」(笑)ということ。


 これが理由で、多分、近所の方にはおかしな子だと思われていたようです。
 …記憶をたどると、どうもそう思われていたフシがある(笑)


 躾が厳しい家庭でしたので、もちろん一般的な善悪の基準は理解していました‥、しかし、その善悪の基準というものは、時と場合と場所でまったく異なる。


 また、日本の常識は世界の非常識だったりするのは、このグローバルな時代ではこれまた常識…。


 それでは、「善と悪の基準って何なの?」


 「善と悪の基準って、あくまで人間の決めたルールであって、地球全体に通じるルールではない‥」。


 もちろん、殺人、盗み等々、誰にでもわかる悪いと言えることは多々あります。
ここで言っているのは哲学的な意味ですので、ご理解を‥。


 その回答が出たのは、二十歳前後の頃だった気がします。


 「善と悪、正と邪などには、本来は実体なんてないんだ‥」


 その後、社会人となり就職しましたが、職場の上司が仏教系の大学卒で、しかもお寺の跡継ぎで住職でもあったため、雑談時にその話をしてみました。すると‥。


 上司:「‥うーん、差別智と無差別智って知っている‥」。


 私:「???、何のことですか?」


 上司:「それは無差別智に至る訓練を幼少の頃から行っていたことと同じだね。うーん…」。


 私:「???」


 この「善や悪や正や邪に本来は実体がない」ということ‥、これは、仏教の悟りに関する重要な内容だったようです。


‥つづく


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2016年10月31日月曜日

合気道と天風哲学5

 少し前のこと‥、たまたま2週連続で市外から来客がありました。


 一人は宮崎市佐土原町、もう一人は都城市在住の方。


 はじめは、合気道の見学かと思いましたが、話を伺ってみると、どうも様子が異なります。よく伺ってみると、来館された理由は、「合気道ではない‥」(苦笑)


 共通するのは、このブログやホームページを読まれて興味を持たれた様子で、「『道』というものに対する私の考えを聞きたい」ということ。振り返ると、昨年秋にも三股の方だったと思いますが、同様の理由で訪ねて来られた方がいらっしゃいました。


 佐土原町在住の方は、短時間で帰宅されましたので、あまりお話はできませんでしたが、三股町と都城市の方は、「相当、道に迷われている様子」で「率直なご意見を…」ということでしたので、よくよくお話をお伺いし、思うところを述べさせていただきました。


 このような話は誤解されがちですので、あまりお話ししたことはありませんが、私は古武道に伝わる天の理法(天地の理・宇宙の法則)、そして運命鑑定法や未来予測法を学んでいますので、このことを基礎に感じるところをお話しさせていただきましたが、生きていく上での参考程度にでもなればいいな、と思っています。


 天を楽しみて命を知る(楽天知命)。故に憂えず。易経

 
 「天の理法を楽しみ、自分の天命を生きる喜びを知る者には憂いはない」ということ。


 そのためにはまず、この世の原理をしっかりと学ぶこと、次に自身の天命を理解し自覚すること、そして、自分は何をなすべきかを判断し、天命を生きること。


 この天命に生きる者には常に喜びが伴うため、天の理法をしっかりと学ぶ者は真の楽天家になれると思います。


 こういった意味では、道に迷っている方にとって、運命鑑定や未来予測法というものは非常に役立ちますね。


 なお、私はあくまで武道家であり、人生指導者でも、占い師でも、宗教家でもありませんので、このような相談を受けることは基本的にありません。今回は、本当に“たまたま”です。


 以前、武道関係者から頼まれて、ある方のご相談をお受けしたところ、「変な人(笑)だと誤解を受けやすいので、このことは誰にも話さないでください‥」と口止めしたにも関わらず、いろんな方を連れて来られて閉口(笑)したことがありました。それ以来、このようなご相談は、一切受けていませんので念のため…。


 しかし、このような運命鑑定や未来予測などというものは、既に生命エネルギーが減少しきっている方に対して根本から立ち直らせるのは困難です。


 具体的には、悩み過ぎて生命エネルギーを散在しすぎた方、潜在意識に負のエネルギーが溜まり過ぎた気鬱状態の方、ショックにより心と身体のバランスが崩れた状態の方、また、不安神経症、自律神経失調症等の方々ですが、このような状態の方には、上記のような方法だけでは、正常な状態に戻すことはできないと思います。


 本当に辛く、一分一秒でも速く正常な状態に戻りたい、そのような方には、心身が正常な状態に戻るためのより具体的な理論と方法論、そして実践論が必要です。


 やはり求めるのは、まずは、「心の平安」、次に、「心身の健康状態の維持」、そして、「心身の強健作用」です。


 そこで、「命の持つ力を最大限発揮するための理論と実践論」、そして、「心の態度を積極的にし、体の状態を健全に保つことで、健康で幸福な人生を堂々と歩むことができるための具体的な方法論」が重要になってきます。


 実は、この具体的な方法論を述べたのが天風哲学なのです。


…つづく


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2016年10月24日月曜日

合気道と天風哲学4

 絶対積極とは、その人の思考や心が「怒り、恐れ、悲しみ」といった感情に支配されることなく、常に「明るく、元気、勇気のある」状態・境地の事。


 …なかなかたいへんです。


 このため、とりあえずプラス思考やポジティブ思考、いわゆる相対的な積極心を身につけていくことが重要で、その後に「絶対的な積極心」の境地を目指していくべきだと思います。


 また、天風先生は下記のように述べられています。
 

 「心がその対象なり相手というものに、決してとらわれていない状態、これを絶対的な気持ちという。何ものにもとらわれていない、心に雑念とか妄念とか、感情的ないろいろの恐れとか、そういったものが一切ない状態。決して張りあおうとか、対抗しようとか、打ち負かそうとか、負けまいといったような、そういう気持ちでない、“もう一段高いことろにある気持ち、境地”、これが絶対的な積極である」。


 常に心は青空で、無限の自信と力が心の底から溢れてくるような境地…。


 そうありたい…、それが願いでもあります。


 実は、随分前から、その入り口には到達している自覚はあります。
ただ、ずーっとその心境を維持できていないだけといいますか‥。


 私の場合は、『ある呼吸法』を行った直後は、「常に心は青空で、無限の自信と力が心の底から溢れてくるような心境」に至ることができます。


 ある拳法の達人は、『虎でも喰いちぎってやる気分』と言われた方もいます。きっと気力が充実した心境をこのように表現したのでしょう。


 よく分かります!!


 本当に『矢でも鉄砲でも持ってこい』といった気分になるから不思議です。


 …でも、すぐに世情のことが頭をよぎり、その心境を維持することを忘れてしまいますが‥(笑)


 最後に天風哲学を学んだ方は、常に明るく朗らかです。


 これは、天風哲学の日常心得に“交人態度”というものがあるのですが、これは、「明るく朗らかに、生き生きとして勇ましい態度で何人にも接する」というもので、逆に言えば「他人を意気消沈させるような消極的な発言はしない」ということ。


 天風哲学を学ばれた方は、これらの日常心得を順守されています。


 …といった理由から、天風哲学の影響を受けている当会の雰囲気は明るく♪、楽しい♪のです(笑)


 さて、ここまで総論的に天風哲学を紹介してきましたが、次回からは話題を変えて、もう少し詳しく天風哲学について述べてみたいと思います。


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2016年10月17日月曜日

合気道と天風哲学3

 天風哲学の基本的な考え方は、「絶対積極」を目指すというところにあります。


 具体的には、稽古中寒くて「今日は寒いですねー」というような話になった場合、「良かった。今日の稽古は精神を鍛える絶好の機会だ!」(笑)と“無理しない”でそう思える状態。


 これが、「絶対積極!」。


 お風呂に飛び込んだはいいが冷たかった場合…、「ラッキー。こんな冷たい経験はなかなか味わえないな。そうそう、これをきっかけに今後は注意深い人間になれるだろうし、また、無料で大寒禊(みそぎ)ができた。なんともありがたいことではないか、ハハハ~」と“全く無理しない”(笑)で笑える状態、


 このような状態(考え方ではない)を「絶対積極」といいます。


 なお、一般的なプラス思考やポジティブ思考とは少々異なります。


 プラス思考やポジティブ思考は、下手すると「もしかしてだけど~♪」のような勘違いした人を増産することになりかねませんので、ちょっと注意が必要ですね…(笑)


 天風哲学では、積極的な心を厳密に分類すると「絶対積極」と「相対積極」の二つに分類され、いわゆるプラス思考やポジティブ思考は、相対積極に分類されると考えられます。まだ、若干作為的で無理している感じが無くなっていない状態が相対積極…、と言う風にも表現できますね。


 絶対積極とは、「何事に対しても虚心平気の状態」!


 相対積極とは、「何事に対しても、できる限り明朗、前向き、溌剌として対応すること」!


 どちらも大事ですが、絶対積極は相対積極から生ずる境地と言うべきかもしれませんね。


…つづく


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2016年10月10日月曜日

合気道と天風哲学2

 さて、心身統一法とは、天風哲学と呼ばれる宇宙観、生命観、人生観を基に「命の持つ力を最大限発揮するための理論と実践論」です。


 人間の“命”は、“心と体が一つになって支えており”、心の態度を積極的にし、体の状態を健全に保つことで、健康で幸福な人生を堂々と歩むことができるための具体的な方法論を述べたものです。


 この「命の持つ力を最大限発揮するための理論と実践論」である心身統一法は、説法を開始したのが大正時代であり、当時は講話が主な伝達手段であったようで、その頃の講話録等がたくさん販売されていますが、なかなか講釈が面白くて飽きませんよ。


 参考までに中村天風氏の講話(抜粋)を紹介します。


<心の思考が人生を創る>
 可能なかぎり、消極的な気持ちで肉体を考えないようにすることが何よりも大切である。特に病のときは病を忘れる努力をすべきである。一言でいうならば、「人間の健康も、運命も、心一つの置きどころ」、


 心が積極的方向に動くのと、消極的方向に動くのとでは、天地の相違がある。ヨガ哲学ではこれを、「心の思考が人生を創る」という言葉で表現している。


<生活の情味を味わう>
 生活の情味を味わわずに活きている人は、本当の人生生活はないといえる。もっと極言すれば、人間の幸いとか、不幸とかいうものは、結果からいえば、生活の情味を味わって活きるか否かに所因するといえる。


 貴賎貧富などというものは第二義的なものである。実際いかに唸(うな)るほど金があっても、高い地位名誉があっても、生活の中の情味を味わおうとしない人は、いわゆる本当の幸福を味わうことは絶対にできない。


<家庭について(抜粋)>
 人生は笑いで過ごすことである。一家揃って、特に主人をはじめ家族の外出や帰宅の際は、一層ニコニコすることが肝要である。多少の不満や不平はさらりと捨てて、況(いわん)や無始無終の宇宙生命に比すれば、人の命は決して長いものでない。


 従ってどんなに愛し合っても、また健康であっても、百年と一処(いつしよ)に生活はできるものでないということに想到したら、終始一貫笑顔で睦(むつ)まじく暮らすのが、最も正しい人生生活だと気がつくであろう。況(いわん)や、怒ったり、争ったりするために、家庭を持つのではないはずであるから…。


…つづく


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