宮崎県西都市を中心に活動している宮崎合気道会グループ「合気道元徳会」道場長による武道コラム - サムライハートSamurai Heart。私達は、合気道の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたいと考えています。興味のある方は、ぜひ一度見学にお越しください。詳細は、合気道元徳会のホームページをご覧ください。

2017年9月4日月曜日

合気道とダーウィン

 先日、英国の博物学者であるチャールズ・ダーウィンの書のある一節を読んでいて、思わず「うっ」と唸ってしまいました。


 その一節とは?


 「生き残るのは、最も強い種でも、最も知的な種でもない。最も変化に対応できる種が生き残るのだ」 チャールズ・ダーウィン


 びっくりです。
 武術の極意ですよね。


 日本剣術的に云うと新陰流の「転」。


 今風では、「転位、転体、転技」というところでしょうか。


 狙った技は外されます。


 敵の攻撃に全て変化にて対応するのが「随敵」。


 具体的には、敵の攻撃を「転位、転体、転技」で対処します。


 身体だけでなく、心や考え方まで柔軟にして対処する。
 もちろん居着きは厳禁です。


 ‥合気道と同じですね。



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2017年8月28日月曜日

名人とは?

 名人とは?


 定義は様々あると思いますが、私の場合、下記の言葉を思い出します。


 「平常心をもって一切の事をなす人、是を名人と云ふ也」
               兵法家伝書 柳生宗矩


 荘子の包丁の話にも似ていて感心します。


 息をするように、歩むように、さらっと自然に技を施す。


 やはり「平常心是道」、


 武道は、精神の修養を第一とすべきだと思います。


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2017年8月21日月曜日

女優の北林谷栄さんの話

 先日、上京した折に電車の中でふと下記の話を思い出しました。


 それは、女優の北林谷栄さんの話。


 「私の祖母は、人に先がけて席を取ろうとしたら、きつくたしなめるような人だった」。


 私も同様の躾の家庭環境で育ったせいか、このような話には共感してしまいます。


 時代遅れ?
 そうかもしれませんね。


 今は、「〇〇ちゃん。あそこが空いてるよ。早く、早く」の時代。

 
 しかし、私の場合は、空いている席に座ろうとすると、両親から「子供は立っていなさい!」との理不尽なお言葉‥。


 子供の時分には分かりませんでしたが、今は分かる。


 このような考え方の国々ばかりであれば、紛争は起きないはずです。


 隣国の様子がきな臭く感じる今日この頃、少し考えさせられました。


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2017年8月14日月曜日

水鏡

 先日、ベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」の著者、ノートルダム清心学園理事長である渡辺和子さんが、ノートルダムホールにある「水鏡」について説明されていました。


 「水鏡」とは、中央棟の前にある直径10mの水のオブジェのことです。


 キャンパス内の名所の一つのようで、「立ち止まって自己の内面を見つめてほしい」という願いを込めて創られたそうです。


<要旨>
 「この水鏡にお月様が映っていて、そのお月様がグラグラして見えるとする。それは、お月様が歪んでいるのではありません。水が波立っているのです。皆さんの心も同じです。心が波立っていては物事が正しく見えません。何か困ったことが起こった時、この水に自分の姿を映してよく考えてみなさい。あなたの心が歪んでいないか? 心が波立っていないか? 冷静になって、一歩引いて考えてみましょう。そうすると分かってきます。何もかも周りのせいにするのでなくて、あぁ、私自信も悪いのだって理解できます。」


 実は、この話に武道の極意が隠されています。
 いやいやこれは面白い!


 タイ捨流の極意の言葉である「水急不流月」にも通じます。


 キリスト教的表現と言うより、日本の禅的表現に近い気がしますが、キリスト教にも「心を鏡」と表現する場合があるのですね。それとも日本化したキリストの教えの表現なのでしょうか。


 やはり、宗教と日本武道の精神的境地は一致するようです。


 しかし、この水鏡、本物を見てみたい気がします。
 製作を企画された方は、どんな立派な方だったのでしょう。



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2017年8月7日月曜日

ツキを呼び込む魔法の言葉

 ベストセラーになった「ツキを呼び込む魔法の言葉」の著者である五日市剛氏のお話を紹介します。


 五日市さんが学生時代に海外を旅して回っていたところ、旅先のイスラエルで偶然出会ったおばあさんから、ある言葉を教わったそうです。


 その言葉が「ツキを呼び込む魔法の言葉」。


<魔法の言葉>
 ○嫌なことがおこったら「ありがとう」。
 ○嬉しいとき、楽しいときには「感謝します」。


 いやいや、これは単純だが奥が深いですぞ‥。


 使用方法も簡単です。
 この二つのありふれた言葉を、嫌なとき、そして、嬉しいときや楽しいときに自分自身につぶやくだけです。


 そうするといつの間にか「魔法の言葉」になっていくそうです。


<五日市剛氏講演録より>
「ピンチや嫌な出来事に感謝して呼吸を整えていくと、不思議とそれ以上、嫌な気分にはなりません。なぜかいい智恵がわいてきやすくなりますし、次の一手が浮かぶこともある。それをタイムリーに行動に移すと、どんなことでも意外と簡単に乗り越えられるようになるものです。

難題そのものに感謝して乗り越えると、それは大きな自信になります。すると精神的にも成長でき、同じミスは犯さなくなります。だから難があることは『有り難い』わけです。」


 「全ての物事に感謝せよ!」


 良く聞く言葉です。しかし、実行に移すにはなかなかたいへんですよね。


 中村天風氏の天風哲学「絶対積極」も同じです。最初からその境地にはなかなかたどり着けるものではありません。


 まずは、この辺りから少しずつ初めてみるのがよいのではないかと感じた次第です。


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2017年7月31日月曜日

武術心法7

 「心法」とは心の働きの総称のことです。


 また、意識を用いたテクニックを「心術」と表現します。


 そして、極意とは、意識(無意識の領域を含めた)の働きを極めることと考えられます。


 さて、合気道の目的は「至誠の人」を育成することにありますが、二代目道主である植芝吉祥丸先生は「武道家のこたえ」という書籍の中で、合気道の目的を次のようにも述べられています。


 『コマが回る状態に例えていう「澄み切りの境地」を求めるのが合気道の目的ということです』


 ‥なんと合気道の目的は、「澄み切りの境地」に至ること!だったのです。


 この「澄み切りの境地」は、「明鏡止水」という別表現もあり、一般的にはこちらを使用しますね。


 参考までに、出典は荘子と言われていますが、辞書によると「曇りのない鏡と静かな水。なんのわだかまりもなく、澄みきって静かな心の状態」のこと。


 武道的には、「心の鏡を磨ききって、相手の心の動きが分かる境地」と言えるのでしょうか。


 結局のところ、日本武道の目的は「澄み切りの境地」や「明鏡止水の境地」に至ることであり、武道家が晩年に禅を組んだり、滝行をしたりなど様々な宗教的行法を行うのもここの重要性に気づいたからなのでしょう。


 達人と呼ばれる方が、最終的に宗教家なのか武道家なのかよく分からなくなったりするのも、これが原因だと思われます。


 さて、「澄み切りの境地」に至ればどうなるのでしょうか?


 それは、武術的にはいわゆる「後出しじゃんけん」が可能になるようです。
 敵の攻撃が未然に察知でき、その攻撃を未発に終わらせることが可能になる・・・。


 合気道開祖の話に、「キリスト教では右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出しなさいと教えているが、合気道では、右の頬を打ってくれば、それを未然に察知し打たせないことで、自分も被害を受けずに相手に罪を犯させない」、というようなものがあるのですが、本当に素晴らしい思想だと思います。


 私もこのような境地に一歩でも近づきたいと考えています。


 最後に、古流剣術の言葉、

 「雲晴れてのちに光るとおもうなよ もとより空の有明の月」


 「武術心法」終わり


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2017年7月24日月曜日

武術心法6

 このようなことで、“空間的な崩し”には、いわゆる「読み」という技術が最も必要になります。


 いわゆる心眼が開く必要があると言うこと。


 ここでようやく「一眼、二足、三胆、四力」の順番の重要性が理解できることになります。やはり、目が大事!


 この「読み」には、①「相手の構えや体勢の崩れなどから相手の攻撃を把握する技術」と、②「観の目といわれる一種の予知能力に近い、相手の攻撃が未発のうちに理解できる技術」に分かれます。


 なお、「観の目」(感性の目、心を読む目)とは、「自分の心で、相手の心を感じる」手法だと考えています。


 ご存じの方も多いと思いますが、合気道開祖植芝盛平先生の逸話として、銃弾を避けることができたというものがあります。


 内容は、「弾が飛んでくる前に“黄金の弾(玉ではない)”が飛んでくるので、これをよければいいんじゃ」という話ですが、私は、この観の目の延長線上にあるものではないかと考えていますが、皆さん、いかがお考えでしょうか。


 それでは、「観の目」はどのようにしたら身につけられるのでしょう?


 これについて、古武道の伝書などで書かれているものを集約し現代語に訳しますと下記の通りになります。


 それは、「姿勢を整え、思考回路を縮小し、耳を澄ましていくことで、脳内ではその瞬間、何者にもとらわれずに集中しきっている状況が生まれる。これを持続させていけばよい」ということです。


 皆さん、禅と似ていると思いませんか。


 きっとこのような理由で、禅との密接な関係が生まれたように思われます。


 また、一見意味の分からない短い言葉を唱え続けることでも同様の効果が生じるようです。


 祝詞や念仏などを唱え続けてみるとよくわかりますが、いつの間にか何も考えていないような状態が生じます。


 このことを私は、タイ捨流で悟りました。


 なお、私には科学的な説明はできませんが、このような状態を維持し続けることで、その瞬間は目標対象物に対する感度が上昇するようです。


 しかし、「澄み切り」(明鏡止水)の状態から、心が少しでも動揺した時点でその感度は急降下します。


 このことを表現した言葉、

 「濁り江にうつらぬ月の光かな」 善吉和尚


 そして、このことの重要性に気づいた人の言葉、

 「稽古とて外に求むる道もなし 心の塵を払ふばかりぞ」 示現流兵法


‥つづく


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