「直心是道場」という言葉が、維摩経というお経の一節にあります。
修業の場を求めている童子から「どこか素晴らしい道場はないでしょうか?」という質問を受けた維摩居士が、「道場というものは外に求める必要はありません。直心是道場ですからね」と諭した内容からきたものです。
「直心」とは、「正直で素直な心」また「自然な心」のこと。
この直心さえ見失わなければ、場所など関係ないという意味でしょう。
さて、その直心を理想とした「直心影流」という古流剣術があります。
もう随分前ですが、剣道の先生からこの直心影流の形の一つである「法定」という一見単純で、無骨で華やかさなどは微塵もない4本の組形を学んだことがあります。
この先生は、いつも一人でウンウン唸りながら太い木刀を使用して20分程度形を行っていたため、始めは一人で行う素振り用の形だろうと思っていましたが、何故か強く惹かれるものを感じていました。
‥この先生は、きっと打ち合う相手が欲しかったのでしょう。
「面白いものではないよ」、「どうせ続かないと思うよ…」 などといいながらも懇切丁寧に教えていただきました(笑)
確かに若い時の私には、何がなんだか・・・よく分かりませんでしたが、「教えてください」と言ってしまった手前、この先生が異動になるまで相手をさせられた思い出があります(笑)
ただ最近、この形の素晴らしさがようやくわかり始めました。
「もっと真剣に学んでおけばよかった…。」というのが正直な気持ちです。
門外漢ながら、最近この「法定」の形は、直心影流剣術哲学の集大成ではないかと思いはじめています。
その剣道の先生も「この形を真に体得できればいいんだ」とか、「この形さえできれば人生で行き詰まることはないのだが‥」などとつぶやかれていました。
私も当時の先生の年齢に近づき、ようやく真の意味が分かってきました。
単純な「八相発破」、「一刀両断」、「右転左転」、「長短一味」という4本の形なのですが、求めるものは剣の技術だけではありません。
「八相発破」は、機先を制することを主眼とした形。
「一刀両断」は、捨て身、刺し違える気持ちを練る。
「右転左転」は、臨機応変さを学ぶ。
「長短一味」は、即今只今ここで死ぬことを求める形です。
また、「八相発破」は春、「一刀両断」は夏、「右転左転」は秋、「長短一味」は冬という風にも表現されています。
結局のところ、
「問題が起こる前に対処する」
「欲を捨て去る」
「自分が変わらないために変化していく」
「そして悟ること」
この四つを真に修練しておけば「人生途上で行き詰まることはない」ということだと思います。
表現は私風ですが、以上のことを学ぶためにウンウン言いながら、丹田に力をこめて行います。
もちろん剣の技術も学ぶのですが、主眼は別のところにある・・・。
日本武道は、やはり奥が深いものですね。
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