宮崎県西都市を中心に活動している宮崎合気道会グループ「合気道元徳会」道場長による武道コラム - サムライハートSamurai Heart。私達は、合気道の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたいと考えています。興味のある方は、ぜひ一度見学にお越しください。詳細は、合気道元徳会のホームページをご覧ください。

2017年11月6日月曜日

封書を四十までに開け

「封書を四十までに開け」


「“現代の覚者たち 致知出版社”の」覚者の一人、教育者の森信三氏の言葉です。
http://online.chichi.co.jp/category/BOOK/159.html


 さて封書とは?


 どういうことか要約しますと、
 「人は、この世へ送られた使命がある。その使命が何であるかは、神様が使命を記載した封書を一人ひとりに授けているため自らが開封するしか手段はない。それも、遅くとも40歳までに開封しなければダメだ」という意味です。


 さて、「音もなく 香もなく 常に天地(あめつち)は 書かざる経をくり返しつつ」という言葉がありますが、20代の頃からでしょうか? この言葉が頭の片隅から離れず、日々生じる所縁…、その意味を考え続けてきたように思います。


 その結果、ちょっとした“におい”程度ですが、自分の使命を30代半ばぐらいには感じていました。


 道場を開いたのも、もちろんその延長線上にあるからにほかなりません。


 私が道場を開いた年に40歳になりましたので、先ほどの封書の話からすると、天からギッリギリ(笑)で合格証書をいただけたのでしょうか?


 それとも、「この方向に進めばよいのだよ!」と、何者かが背中を後押ししてくれているのでしょうか?


 何かそのような気分です…。


 この本は素晴らしい本です。
 久しぶりに電気が走りました。
 見識のある志の高い人の言葉は重みがありますね。


 今後も変わらず、「いかにこの人生を生ききり、魂を磨き究(極める)めるか」を、武道を通じて考えてまいりたいと思います。


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2017年10月30日月曜日

未萌に極意あり

 「愚者は成時に闇く(くらく)、智者は未萌(みほう)に見る」 戦国策


 「愚かな者とは、悪い物事が起こってきた段階でも、まだ気づかない人物であり、智慧のある者とは、まだ兆し(萌し)が起こった段階であらかじめ察知し、最適な対策を講じることができる人物のことですよ」…という意味でしょう。


 私がよく「高橋師範の名前の『暁』に極意があるんだよ」というのはこの理由からです。


 未萌に見るとは、言わば危険察知能力。
 厳しい実社会を安全に生き抜くためには大事なことです…。


 参考までに「合気とは、敵の仕掛ける技を未然に察知できる能力のことだ」と説明する古武道家もいらっしゃいます。


 確かに敵の仕掛ける技が未然に察知できれば、これに越したことはありませんね。


 なお、この「智者は未萌に見る」は元来、武道家の徳の一つとして重要視されてきたものです。


 さて、社会生活上では、
1.「何となく気になる。または、何となくそんな感じがする」、
2.「自然と周囲から自然とある方向性へ誘導されている」
 …が羅針盤です。


 もちろん、これには空気が読める以上の感覚(嗅覚?)が前提になります。


 このことが理解できる精神状態で、この事実に確信が持てた場合にようやく「見えないものへの感謝」や「おかげさま」の意味が理解できるようになり真の信仰心が生じます。


 このうえで始めて、「智者は未萌に見る」ことが可能になるようです。


 何も宗教の話をしているのではありません(笑)


 古今東西の「覚者」と言われてきた人には、当然のこととして生じる事実ですし、「このことなくして大成することはない」と喝破する空手家も存在します。


 合気道開祖植芝盛平先生の神業も「未萌に見る」ことなくしては不可能でしょう。


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2017年10月23日月曜日

人はすべからく事上に在って磨くべし

 さて、「人須磨在事上」、
 人はすべからく事上に在って磨くべし 伝習録


 社会生活上、仕事など日々の実践を通じて自分を磨きなさい!
 …という意味だと思います。


 学問、つまり知識だけでは、なかなか生きた知恵が身に付かない…、
 知識を見識に変えていくには、学問と並行して社会生活上での実践で鍛えなければならない…、そして、実践で鍛えに鍛えて、ようやく真理が肚に納まる…、これを胆識とよぶのでしょう。


 生兵法は怪我の元、そして付け焼刃は役にたたない…。
 実践で磨かれてこそ、知識も人間も本物に近づけるのだと思います。


 伝習録は、「知行合一」を説いた王陽明の本です。
 敬愛する西郷隆盛さんも愛読したとのことから、20代前半に取り組んではみましたが…、これが、なかなか難儀した記憶があります。


 …が、最近、久しぶりに手にとってみると内容がよく理解できる気がするのは勘違い?
でしょうか(笑)


 不思議なものです。


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2017年10月16日月曜日

会津八一

 新潟県出身の歌人で美術史家、そして、書家でもあった会津八一という方がいらっしゃいます。


 その方が書について、下記のように語っているそうです。


 「芸術として書くからには、字さえ上手に書けば何でもいいというわけにはいかない。その中に盛ってある思想も感情も、まず自分のものでなければいけない。自作でないにしても、自分で本当に感動したものでなければならない。」


 武道、そして合気道も同じだと思います…。



 言い尽くされた言葉ですが、やはり“中身が大事”ですね。


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2017年10月9日月曜日

西郷隆盛十訓

 
 西郷どんは、隣県の英雄!!
 修学旅行では、今でも鹿児島市で西郷さんの銅像を見学するそうです。


 来年のNHK大河ドラマが楽しみですね。
 



 さて先日、西郷さんの子孫の方がある雑誌で、家に伝わる訓えについて解説されていましたので紹介いたしますが、棘の多い門松を数多くくぐってきた苦労人だけあって実に味があります。



『西郷隆盛十の「訓え」』

 一 迷ったときは、「損得」でなく「善悪」で判断せよ

 二 「正道」を行ない、それを楽しめ

 三 「分をわきまえる」ほど、強くなる

 四 「勇気」だけは、誰にも負けてはならない

 五 理不尽は理不尽のままでよい。自分が理不尽なことをせねばよい

 六 「恩」は返せ。「恨み」は晴らせ

 七 「当たり前」とは、不測の事態が起こること

 八 自分を大事にしすぎるな。すべての悪事はそこから生じる

 九 恥は堂々とかけばいい

 十 「天」に問え


 「一」は、実に感じ入りますね‥。
 私自身、どうしても物事を合理的に判断してしまう性質で、困ったことになかなかこうはいきません。後天的修養が必要ですね。


 「四」は、豪傑・大度量と言われた西郷さんが、「勇気」をあえて十訓に加えたとすれば、豪傑と呼ばれたその大胆さは、きっと勇気を振り絞った証だったとも考えられますね。逆に勇気がもらえた気がします。


 「五」は、実に味がありますね。
 西郷さんも、理不尽で嫌な思いを多々体験させられたのでしょうね。対応方法は、確かにこれしかない気がします。


 「十」は、ずっとやっています。癖になっていると言えばよいのか‥。
 これだけは大丈夫そうです。


 時代は変わろうとも、変わらない真理がある。
 実によい「訓え」だと感じましたが、皆さん、いかがですか。



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2017年10月2日月曜日

素質を養う

 読み返した本の中の一節に面白い表現の文章がありました。


 「生まれて後に得る人間的な芸能知識というものは、むろん、人の一生を支配するものではあるが、世人の多くは、これらを得るということにのみ、直接、熱中して、これらを得ることができる素質を養うということを忘れている」。


 この本には解説は全くありませんので想像になりますが、「素質を養う」とは、人間性を養うことではないかと思います。


 いくら能力が高くても、勤勉さがなければ「二十歳過ぎればただの人」…。


 能力を得るための人間性、勤勉、実直、素直、根気等々…、
 この人間性を培うための努力がまずもって必要ではないかと思います。


 別の表現をすれば「徳を養う」という風にも言えるのでしょうか。


 「素質を養う」…、今年のテーマにします。


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2017年9月25日月曜日

ミドレンジャー先生

 高校生の頃、「ミドレンジャー先生」というニックネームの先生がいました。


 このあだ名の由来は、先生は髪が薄く後頭部がVの字に見えるため、後ろから見ると昔流行ったテレビ番組ゴレンジャー戦隊の「ミドレンジャー」に似ていたので、このようなニックネームがつけられたようです。



 …つけられた…とか、…ようです、と言いながら、友人に言わせるとどうも自分がつけたあだ名のようですね(笑) ‥確かにつけそうだ。


 さてこの時期、元気いっぱいでとても反抗的な生徒だった私は、先生方からするとわずらわしい生徒だったようで、煙たがられていました。


 そのような中、なぜか自分を可愛がってくれた先生も少数ですがいらっしゃいました。
 その中の一人が、この「ミドレンジャー先生」。


 先生はクリスチャンだったようで、授業の始まりにはいつも黒板の右上に「祈り」と書いてから授業を行っており、また、同時に道徳的な授業もされていました。


 記憶によると病気で倒れられてから授業の比率が急に「試験勉強 → 人生哲学」に変わってしまった先生のようでした‥。


 試験の勉強より道徳的生き方を重視されており、このせいかバブル時代の学歴偏重社会の先生としては不適格? との烙印を押されていた雰囲気があった気がします。空気感でそう感じていましたが、実際はどうだったのでしょう…。


 さて最近、部屋の掃除をしていたらその当時の手帳がでてきました。


 そのメモに「ミドレンジャー」、との走り書きのあとに以下の文章がありました(若干、修正・補足しています)。


 「あなたの真っ直ぐな正義感は若いなりに不器用だが悪くない。そして元気もある。そのまま真っ直ぐ成長すれば人を指導する立場の人間になれるかもしれない。そのような場合、いろんな方から意見を求められたり相談事を持ち込まれることがあると思う。そのようなときは、的確に正しい方向に導いてやる必要がある。また、これには見識が育っていないとできない。見識が育つためには知識がまずもって必要である。そのような時に、『道に迷った人、困っている人をさらに惑わしたくなければ“今勉強しなさい”』」、


 これは、先生お得意の「褒め殺し的説教」であり、当時の私も決して勘違いすることはなかったのですが、「自分というものを理解してくれる方がいるのがうれしかった」のは事実でした。


 しかし、当時の私は意味が分かっていたのでしょうか?


 今思えば尊敬すべき良い先生もいたのですね…。
 しかし、結局社会人になるまで全く勉強はしませんでした(笑)


 勉強していれば「ミドレンジャー先生」が言うような人物になれたのでしょうか?


 光陰矢のごとし…、後悔先に立たず…ですね。


 いやいやいかんいかん。まだまだこれからです。
 頑張ります。



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