ここで思い出すのが、「積善之家必有餘慶。積不善之家必有餘殃」。
(積善の家には必ず余慶有り。積不善の家には必ず余殃有り 易経より)
これは、「善いことを善を積み重ねた家では、その恩恵が子孫におよび、悪いことを積み重ねた家には、その災いが子孫にまで及ぶ」という意味で、現在は倫理・道徳的なニュアンスで使われることが多いようですが、本来は先述した「福」と同じ意味です。
やはり、「天は自ら助くる者を助く」が基本です。他人に頼らず、自立して努力する者には天の助けがあり、必ず幸福になるという意味で、怠惰な者には、決して幸福は訪れないと思います。
天命を知り(知命)、そして、その命に人事を尽くす(立命)。これが、人生の基盤となることについては前回書きましたが、もっと言えば人事の尽くし方というものがあります。
それは、「良い実が実るように、良い種を蒔き、肥料を与え、手入れをきちんと行う」ということ。これが「福」を得るために必要な手段です。
人事を尽くさずに批判ばかりしても、決して福が得られることはありません。
「命」とは先天的に天から与えられた性質や能力のことなので「天命」と言い、また、それは良い性格に人格を形成せしめ、かつ後天的修養を行い、さらに良い種を蒔き続けていくことで、いかようにも変化せしめられるものです。
この命は運べる(動かせる)ということ、という意味において「運命」とも言います。
結局、運命とは宿命と異なり動いて止まないものでありますが、良い種を蒔き続けることで良い実がなる‥、というようなこの宇宙に存在する法則を「肚で掴む」ことが必要です。
「この宇宙の法則性を掴むことで『運命には支配されなくなり自主性が高まる』」、また、運命の主宰者は自分だと心の底から認識でき、同時に創造性も高まります。
さらには、自分で自分の「命」を生み育て望む場所へ運んでいけるようになります。これが運命の真意です。
このようなことから、運命とは決して身動きのとれないものではなく、後天的努力、つまり修養や徳の修めかたにより、多少の時間は必要ですが良い方向へ仕向けることが可能です。
人生というものに対して浅薄な占い師や宗教家による宿命観などに支配されて、自分を見限ることのないように、本質を見極めていただければと思います。
‥つづく
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