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2016年12月26日月曜日

合気道と天風哲学13

 さて、中村天風氏とは?


 中村天風(なかむら てんぷう 1876年~1968年)氏は日本の思想家、実業家、元諜報員。日本初のヨガ行者で、天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は中村三郎(なかむらさぶろう)。


 詳細は、下記をご覧ください。

<参考>
http://blogs.yahoo.co.jp/tanimansamuraispirit/35535851.html


 一般的には、「思想家、哲人、導師」というカテゴリーに入る方だと思いますが、この天風氏に師事していたのは、東郷平八郎、ロックフェラー三世、宇野千代、稲森和夫、双葉山等々の錚々たる顔ぶれで、合気道界では、二代目道主である植芝吉祥丸先生を始め、多田宏師範や佐々木将人師範系列、藤平光一先生の気の研究会系列とこちらも合気道界を代表される方ばかりですね。


 それでは、中村天風氏が創始した「心身統一法」とは?


 心身統一法とは、天風哲学と呼ばれる宇宙観、生命観、人生観を基に『命の持つ力を最大限発揮するための理論と実践論』です。


 具体的には、『人間の命は、心と体が一つになって支えており、心の態度を積極的にし、体の状態を健全に保つことで、健康で幸福な人生を堂々と歩むことができるための方法論』を述べたものです。


 そして、「絶対積極の境地」を体得する具体的な方法論。


 この絶対積極は、よく単なるプラス思考と同レベルで紹介されがちです。


 初心のうちは、そのような理解でもよいと思いますが、本質は異なります。より高尚なものです。


 具体的には下記のとおり‥。


 絶対積極とは、その人の思考や心が「怒り、恐れ、悲しみ」といった感情に支配されることなく、“常に”「明るく、元気、勇気のある状態・境地」の事で、天風氏は、「心がその対象なり相手というものに、決してとらわれていない状態、これを絶対的な気持ちという。何ものにもとらわれていない、心に雑念とか妄念とか、感情的ないろいろの恐れとか、そういったものが一切ない状態。決して張りあおうとか、対抗しようとか、打ち負かそうとか、負けまいといったような、そういう気持ちでない、“もう一段高いところにある気持ち、境地”、これが絶対的な積極である」と述べています。


 前述した「無差別智の境地」を別表現で述べたものです。


 結局のところ、「絶対積極」、「無差別智」、「明鏡止水」、「無念無想」、直心影流の「直心」などの境地は、同じ境地の別表現と言えると思います。


 そして、「神業」や「極意」と言われる技‥、例えば一刀流の「夢想剣」、新陰流の「水月」、「真の水月」、「神妙剣」、タイ捨流の「金剛王寶剣」、合気道の「魂の比礼振り」などは、この境地の延長線上にある技だと信じています。


 私は、この心境を保つために合気道をやっていると言っても過言ではありません。
 合気道が競技を行わない理由もそこにあるのだと思います。


 さて、長くなりましたが、この心身統一法は、詳細に述べたらきりがありませんので、次回からは、天風会の「日常心得」というものがありますので、このことを中心に書いてみたいと思います。


‥つづく


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2016年12月19日月曜日

合気道と天風哲学12

 それはさておき、前述した般若心経は、形ある物や目の前に現れる様々な現象は全て『原因結果の法則(因・縁)』に基づいて生ずるもので、原因があるから結果が現れているだけであり、それらは「一切が『空』(本質的に言うと本来それらには実態はありませんよ)」ということを伝えたかったのでしょう。


 このため、この世は「無常」です。


 つまり、この世に変化しない状態・物はなく、全ては、原因により化合されて変化することになります。物事は流転していくのが当たり前であり、かつ真理なのです。


 そして、その「空」というものの見方が、この世の正しい世界観であり、この「空」を理解することで、まじりっけの無い「ありのままの本来の世界の姿」を理解することができます。


 これが無差別智に至った人のものの見方です。


 この「空」に至る道が仏教の八正道を修めることであり、逆説的に言えばいったん「空」に至れば八正道を修めたことにもなります。


 山はどこから登っても、頂上にたどり着くのは間違いないようです。ただ、大まかな方向性だけは示さないと山の麓でうろちょろしているだけで、登ることさえできない‥。


 ‥ということから、お釈迦様は仏教哲学として、それを伝えたのでしょう。


 そして、中村天風氏は、そこに至る道を分かりやすく伝えようとしました。


 それが天風哲学の本質です。


 次回からは、本来の流れに戻り、中村天風先生の生涯や具体的な天風哲学について紹介いたします。


 ‥つづく


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2016年12月12日月曜日

合気道と天風哲学11

 前回、「良い種を蒔く(原因)から良い花が咲く(結果)のです。良い種を蒔き続けなさい。この地球上で生活するからには、この法則に則って生活する方が得(楽?)ですよ」ということをお伝えしました。


 この場合の「良い種・悪い種」や「良い花・悪い花」とは、あくまで個人的な主観で判断すべきものであり、全ての人に通じる共通の「良い・悪い」ということは、哲学的には定義できません。


 なお、「社会一般的な」とか「通常では」という程度の「良い・悪い」は定義できますが、これを基準とした社会ルールが「法(律)」というものの本質だと思われます。


 ただ、自身の天命が全うできるための原因となる種は「良い種」であり、自身の天命に逆行する原因となる種は「悪い種」ということは断言できそうです。


 こういった理由で、自身の天命というものをなんとなくでも掴んでおくことがより良い人生をおくる上で大事なことだと思います。


 そうでないと、どんな種を蒔いてよいかわからない‥。


 せめて、「どんな花を咲かせたい」というイメージだけは必要だと思います。


 このことから、昔の人は「立志」や「立志式」というものを重要視していたのでしょう。


 しかし、その時点での志や夢が本当にその人の天命と合致するかどうかは、なかなか分からない‥。推命する手法もあるにはあるのですが一般的ではない‥。


 このため、私は、「この世に生を受けたからには、まずは積極的に喜怒哀楽、艱難辛苦を可能な限り味わい尽くし、そして、この世の森羅万象を学び尽くして、自身の天命を自覚しなさい。


 そして、自身の天命が理解できたら、その天命が全うできるよう積極的に良い種を蒔き続けることが、この世界における正しい生き方」だと信じています。


…つづく


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2016年12月5日月曜日

合気道と天風哲学10

 このシリーズ、内容が難しいので、「読んでくれる方は、きっと少ないだろうなぁ」と思っていましたが、メールや問い合わせの数は何故か今までで一番です。精神的なものを求める方が多いのですね。「道」について興味をもってもらっていることについて嬉しく思います。


 さて、この実体のないことを仏教哲学では、「空」(クウ)と表現しています。
 般若心経の「色即是『空』、『空』即是色」の「空」です。


 そして、この般若心経では、「一切(は)空」、つまり「この世の森羅万象、本来、それらには全て実態は無いのですよ」と言い切っています。


 お釈迦様が、当時の方達が理解できるようにあくまで方便として、目に見えない物(実体のない物)を仮に「空」と表現し、目に見える物質やこの世の森羅万象を仮に「色」と表現したようです。


 その目に見えない「空」、言わば透明若しくは真っ白なイメージのものに「原因(因縁の因)」が加わり、化合物として「色(結果)」が生ずる。


 この世の中で起こる出来事は、「全て原因があって、その結果」が生じます。


 きっとお釈迦様は、「この世には、こういった宇宙の法則というべきものがあるのですよ」と伝えたかったのでしょうね。


 これを「因縁」とか「原因結果の法則」などと呼称しますが、目の前に起こる出来事は、全てこの因と縁によって生じる結果(化合物)ですので、「良い種を蒔く(原因)から良い花が咲く(結果)のです。良い種を蒔き続けなさい。この地球上で生活するからには、この法則に則って生活する方が得(楽?)ですよ」というのが、お釈迦様が後世の人に伝えたかったメッセージではないでしょうか。


‥つづく


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2016年11月28日月曜日

合気道と天風哲学9

 本来は善・悪などに実体はありません。なお、これは哲学的意味ですので念のため…。
 また、この点を勘違いすると某宗教のような誤った教義が生まれますので注意が必要です。


 ‥続けますが、培ってきた価値観が様々な現象を「善・悪」等に振り分けることが様々な面で悪因となります。


 物事に善や悪を当てはめて考えることは、本来は必要がないのです。


 もちろん、ありのままの事実をそのまま真っ直ぐに見ることは必要で、そのありのままの事実に対して培ってきた人生哲学で対応・対処していかなければなりません。


 事実に対し、余計な思想や感情を入れないで、過剰反応せずに、やり過ぎず、かつ足りなくもなく、本当の意味の適当に対処することが必要だということを言いたいのであって、物事を二面に分けて(差別)判断せずに、事実をありのままに見ることが大事だということです。


 参考までに無差別智に至っていたタイ捨流の流祖は、このことを伝書に次のように書き残しています。


 「『善悪、邪正及び迷悟などは全て一つに帰す』。まさにこの理は剣の道理であり、これを流儀の本源と成す‥」 タイ捨流極意書より


 私の継承するタイ捨流剣法の流祖もこの境地に辿り着かれており、このことの重要性を後世の者に伝えようとされたようです。ありがたいものですね。

 
 さて、話は変わりますが、ここにいったん至ると、「初めて読んだ難解な哲学書の意味が分かったり」、「お経を聞いているだけで内容がピン!と理解できたり」、「様々な宗教の教義の意味が直感的に理解できたり」、「禅の公案の意味が理解できたり」します。


 禅の世界に「十牛図」なる意味不明(笑)な図がありますが、それを無差別智に至った後に見ると「なるほど!」と見た瞬間に理解できるようになります。


 ‥不思議なものです。


 ここで大事なポイントをもう一度復習!


 ●差別智とは、善・悪など、物事を二つに分別(差別)し、理解する知恵のこと。

 ○無差別智とは、差別智を超越し、物事を分けて(無差別)考えない智慧のこと。


 ‥であり、無差別智に至れば、自我のサングラス(フィルター)をかけて物事を見ることがなくなりますので、物事がありのままに見えるようになります。このことを『覚醒』と表現する場合もあります。


 また、武道では、このことを単に「自然体」と呼んでいますが、これでは本来の意味が分かりにくいので、現代では「超自然体」(笑)、若しくは「真の自然体」と表現した方が良さそうです。


 しかし、いったんこの境地に至っても、悟後の修業が中途半端であれば、再び自我のサングラスをかけることになりますので注意が必要ですね。


 最後にやはり無差別智に至っていたと考えられる示現流の流祖東郷重位が師より教わった道歌を紹介します。


 「稽古とて ほかに求むる道もなし 心の塵をはらうばかりぞ」 示現流道歌


 きっと無差別智に至るだけでなく、悟後の修業の大事さを後世の方に伝えたかったのでしょう。


 ‥つづく


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2016年11月21日月曜日

合気道と天風哲学8

 質問です。
 「包丁は、善と悪のいったいどちらでしょう?」


 例えば、包丁で脅された経験がある場合や怪我をした(させられた)経験を持つ人は「悪」と答えるかもしれません。


 両親が料理人だったり、家庭で美味しい料理を食べて育った人は「善」と答えるかもしれません。


 でも、答えは簡単。


 善と悪のどちらでもありませんよね。


 包丁は、食材を切断または加工するための刃物で、調理器具の一種でしかありません。


 次の質問です。
 「ダイナマイトは、善と悪、どちらでしょう?」


 ‥これももちろん、善と悪のどちらでもありませんよね。


 ダイナマイトで人を殺すことや大事にしているものを破壊することはできますが、同時に産業用としてもたいへん有効で、これまで、世界中の土木開発行為で活躍してきました。


 ダイナマイト自体は、ニトログリセリンを主体とする爆薬であり、それ以上でも、それ以下でもありません。


 ここに感情移入してしまうと、ダイナマイト対して、怖く悲しい思い出しかない人は「悪」と表現し、土木関係者は社会に必要なものと考え「善」と判断する場合もあるでしょう。


 物事を正しく見ることを仏教では、「正見(しょうけん)」と言い、この正しい見方に基づく真実を認識することを「如実知見(にょじつちけん)」といいます。


 分かりやすく言うと「物事をありのままに見る」ということ。
 残念なことに、普通はこのことができないのです。


 仏教の「八正道」の筆頭に掲げられる「正見」の本質はここにあります。


 なお、これは、「八正道は全て『正見に納まる』」とされ、八正道の筆頭に挙げられるほど大事なポイントです。


 この正見を理解することが、仏教の本質を理解するための早道だと思われます。


‥つづく

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2016年11月14日月曜日

合気道と天風哲学7

 難解ですが、仏教哲学について少し書いてみますね。


 私の拙い文章力でどこまで伝えられるか分かりませんが、可能な限り分かりやすく解釈してみます。


 それではまず、先週の続きで「差別智」と「無差別智」の理解を…。


 『差別智とは?』
 普通の人が物事を認識し理解する能力。分別智(ふんべつち)とも言う。
 常に善と悪、有ると無い、陰と陽、○と×など、対立する概念で分析・区別して判断する普通の人の知恵のこと。


 『無差別智とは?』
 仏の智慧、無分別智(むふんべつち)とも言う。
 差別智を超越し、物事を正しく見る能力。ちなみに「仏とは、完全な智慧を得た者」のこと。簡単にいうと悟った人の智慧のこと。


 なお、無差別智は、上記が転じて直感的にひらめく智慧のことを指す場合もあります。


 さて、人間という生き物は、“基本的に”生きてきた過程、教育、親の考え方などで、善・悪、正・邪などの基準を徐々に身に着けていくものです。


 しかし、本来は、善・悪、正・邪など、これらに「実体はない」のです。
 ここが大事なポイント!


 その人の培ってきた価値観などがそれを善か悪か、正か邪に振り分けるだけなのです。
 よくある例としては、それらを「好き・嫌い」だけで判断している場合もありますね。


 それはさておき重要なのは、「実体がない」ことが「ピーン!!」と理解できた瞬間がいわゆる『悟りの瞬間』であり、かつ『無差別智に至った瞬間』だということなのです。


 「悟り」とは、本来は『「差」取り』の意味で、それまで、ただの現象だけでしかない物事に対して、善悪・正邪等々に分別(差)して判断していたものが、その瞬間から、物事をありのままに、そのままに見ることができるようになるということ。


 ここに触れ得た瞬間から、ようやく物事が正しく見えるようになるのです。


 それまでは、サングラス(自我のフィルター)をかけて物事を見ているような感じと言えば良いのか…。


 表現はイマイチかもしれませんが、まぁ、遠からずだと思います。


‥つづく


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2016年11月7日月曜日

合気道と天風哲学6

 「道に迷う‥」、辛いことですよね。


 ちなみに私は自慢じゃないですが、道に迷うのは大得意V!で、昔から迷いっぱなしです。今まで途方もなく迷ってきましたし、きっと今も迷っているのでしょう。


 ちなみに小学生の頃から二十歳前後まで悩んでいたのが、「善悪の基準が分からない」(笑)ということ。


 これが理由で、多分、近所の方にはおかしな子だと思われていたようです。
 …記憶をたどると、どうもそう思われていたフシがある(笑)


 躾が厳しい家庭でしたので、もちろん一般的な善悪の基準は理解していました‥、しかし、その善悪の基準というものは、時と場合と場所でまったく異なる。


 また、日本の常識は世界の非常識だったりするのは、このグローバルな時代ではこれまた常識…。


 それでは、「善と悪の基準って何なの?」


 「善と悪の基準って、あくまで人間の決めたルールであって、地球全体に通じるルールではない‥」。


 もちろん、殺人、盗み等々、誰にでもわかる悪いと言えることは多々あります。
ここで言っているのは哲学的な意味ですので、ご理解を‥。


 その回答が出たのは、二十歳前後の頃だった気がします。


 「善と悪、正と邪などには、本来は実体なんてないんだ‥」


 その後、社会人となり就職しましたが、職場の上司が仏教系の大学卒で、しかもお寺の跡継ぎで住職でもあったため、雑談時にその話をしてみました。すると‥。


 上司:「‥うーん、差別智と無差別智って知っている‥」。


 私:「???、何のことですか?」


 上司:「それは無差別智に至る訓練を幼少の頃から行っていたことと同じだね。うーん…」。


 私:「???」


 この「善や悪や正や邪に本来は実体がない」ということ‥、これは、仏教の悟りに関する重要な内容だったようです。


‥つづく


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2016年10月31日月曜日

合気道と天風哲学5

 少し前のこと‥、たまたま2週連続で市外から来客がありました。


 一人は宮崎市佐土原町、もう一人は都城市在住の方。


 はじめは、合気道の見学かと思いましたが、話を伺ってみると、どうも様子が異なります。よく伺ってみると、来館された理由は、「合気道ではない‥」(苦笑)


 共通するのは、このブログやホームページを読まれて興味を持たれた様子で、「『道』というものに対する私の考えを聞きたい」ということ。振り返ると、昨年秋にも三股の方だったと思いますが、同様の理由で訪ねて来られた方がいらっしゃいました。


 佐土原町在住の方は、短時間で帰宅されましたので、あまりお話はできませんでしたが、三股町と都城市の方は、「相当、道に迷われている様子」で「率直なご意見を…」ということでしたので、よくよくお話をお伺いし、思うところを述べさせていただきました。


 このような話は誤解されがちですので、あまりお話ししたことはありませんが、私は古武道に伝わる天の理法(天地の理・宇宙の法則)、そして運命鑑定法や未来予測法を学んでいますので、このことを基礎に感じるところをお話しさせていただきましたが、生きていく上での参考程度にでもなればいいな、と思っています。


 天を楽しみて命を知る(楽天知命)。故に憂えず。易経

 
 「天の理法を楽しみ、自分の天命を生きる喜びを知る者には憂いはない」ということ。


 そのためにはまず、この世の原理をしっかりと学ぶこと、次に自身の天命を理解し自覚すること、そして、自分は何をなすべきかを判断し、天命を生きること。


 この天命に生きる者には常に喜びが伴うため、天の理法をしっかりと学ぶ者は真の楽天家になれると思います。


 こういった意味では、道に迷っている方にとって、運命鑑定や未来予測法というものは非常に役立ちますね。


 なお、私はあくまで武道家であり、人生指導者でも、占い師でも、宗教家でもありませんので、このような相談を受けることは基本的にありません。今回は、本当に“たまたま”です。


 以前、武道関係者から頼まれて、ある方のご相談をお受けしたところ、「変な人(笑)だと誤解を受けやすいので、このことは誰にも話さないでください‥」と口止めしたにも関わらず、いろんな方を連れて来られて閉口(笑)したことがありました。それ以来、このようなご相談は、一切受けていませんので念のため…。


 しかし、このような運命鑑定や未来予測などというものは、既に生命エネルギーが減少しきっている方に対して根本から立ち直らせるのは困難です。


 具体的には、悩み過ぎて生命エネルギーを散在しすぎた方、潜在意識に負のエネルギーが溜まり過ぎた気鬱状態の方、ショックにより心と身体のバランスが崩れた状態の方、また、不安神経症、自律神経失調症等の方々ですが、このような状態の方には、上記のような方法だけでは、正常な状態に戻すことはできないと思います。


 本当に辛く、一分一秒でも速く正常な状態に戻りたい、そのような方には、心身が正常な状態に戻るためのより具体的な理論と方法論、そして実践論が必要です。


 やはり求めるのは、まずは、「心の平安」、次に、「心身の健康状態の維持」、そして、「心身の強健作用」です。


 そこで、「命の持つ力を最大限発揮するための理論と実践論」、そして、「心の態度を積極的にし、体の状態を健全に保つことで、健康で幸福な人生を堂々と歩むことができるための具体的な方法論」が重要になってきます。


 実は、この具体的な方法論を述べたのが天風哲学なのです。


…つづく


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2016年10月24日月曜日

合気道と天風哲学4

 絶対積極とは、その人の思考や心が「怒り、恐れ、悲しみ」といった感情に支配されることなく、常に「明るく、元気、勇気のある」状態・境地の事。


 …なかなかたいへんです。


 このため、とりあえずプラス思考やポジティブ思考、いわゆる相対的な積極心を身につけていくことが重要で、その後に「絶対的な積極心」の境地を目指していくべきだと思います。


 また、天風先生は下記のように述べられています。
 

 「心がその対象なり相手というものに、決してとらわれていない状態、これを絶対的な気持ちという。何ものにもとらわれていない、心に雑念とか妄念とか、感情的ないろいろの恐れとか、そういったものが一切ない状態。決して張りあおうとか、対抗しようとか、打ち負かそうとか、負けまいといったような、そういう気持ちでない、“もう一段高いことろにある気持ち、境地”、これが絶対的な積極である」。


 常に心は青空で、無限の自信と力が心の底から溢れてくるような境地…。


 そうありたい…、それが願いでもあります。


 実は、随分前から、その入り口には到達している自覚はあります。
ただ、ずーっとその心境を維持できていないだけといいますか‥。


 私の場合は、『ある呼吸法』を行った直後は、「常に心は青空で、無限の自信と力が心の底から溢れてくるような心境」に至ることができます。


 ある拳法の達人は、『虎でも喰いちぎってやる気分』と言われた方もいます。きっと気力が充実した心境をこのように表現したのでしょう。


 よく分かります!!


 本当に『矢でも鉄砲でも持ってこい』といった気分になるから不思議です。


 …でも、すぐに世情のことが頭をよぎり、その心境を維持することを忘れてしまいますが‥(笑)


 最後に天風哲学を学んだ方は、常に明るく朗らかです。


 これは、天風哲学の日常心得に“交人態度”というものがあるのですが、これは、「明るく朗らかに、生き生きとして勇ましい態度で何人にも接する」というもので、逆に言えば「他人を意気消沈させるような消極的な発言はしない」ということ。


 天風哲学を学ばれた方は、これらの日常心得を順守されています。


 …といった理由から、天風哲学の影響を受けている当会の雰囲気は明るく♪、楽しい♪のです(笑)


 さて、ここまで総論的に天風哲学を紹介してきましたが、次回からは話題を変えて、もう少し詳しく天風哲学について述べてみたいと思います。


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2016年10月17日月曜日

合気道と天風哲学3

 天風哲学の基本的な考え方は、「絶対積極」を目指すというところにあります。


 具体的には、稽古中寒くて「今日は寒いですねー」というような話になった場合、「良かった。今日の稽古は精神を鍛える絶好の機会だ!」(笑)と“無理しない”でそう思える状態。


 これが、「絶対積極!」。


 お風呂に飛び込んだはいいが冷たかった場合…、「ラッキー。こんな冷たい経験はなかなか味わえないな。そうそう、これをきっかけに今後は注意深い人間になれるだろうし、また、無料で大寒禊(みそぎ)ができた。なんともありがたいことではないか、ハハハ~」と“全く無理しない”(笑)で笑える状態、


 このような状態(考え方ではない)を「絶対積極」といいます。


 なお、一般的なプラス思考やポジティブ思考とは少々異なります。


 プラス思考やポジティブ思考は、下手すると「もしかしてだけど~♪」のような勘違いした人を増産することになりかねませんので、ちょっと注意が必要ですね…(笑)


 天風哲学では、積極的な心を厳密に分類すると「絶対積極」と「相対積極」の二つに分類され、いわゆるプラス思考やポジティブ思考は、相対積極に分類されると考えられます。まだ、若干作為的で無理している感じが無くなっていない状態が相対積極…、と言う風にも表現できますね。


 絶対積極とは、「何事に対しても虚心平気の状態」!


 相対積極とは、「何事に対しても、できる限り明朗、前向き、溌剌として対応すること」!


 どちらも大事ですが、絶対積極は相対積極から生ずる境地と言うべきかもしれませんね。


…つづく


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2016年10月10日月曜日

合気道と天風哲学2

 さて、心身統一法とは、天風哲学と呼ばれる宇宙観、生命観、人生観を基に「命の持つ力を最大限発揮するための理論と実践論」です。


 人間の“命”は、“心と体が一つになって支えており”、心の態度を積極的にし、体の状態を健全に保つことで、健康で幸福な人生を堂々と歩むことができるための具体的な方法論を述べたものです。


 この「命の持つ力を最大限発揮するための理論と実践論」である心身統一法は、説法を開始したのが大正時代であり、当時は講話が主な伝達手段であったようで、その頃の講話録等がたくさん販売されていますが、なかなか講釈が面白くて飽きませんよ。


 参考までに中村天風氏の講話(抜粋)を紹介します。


<心の思考が人生を創る>
 可能なかぎり、消極的な気持ちで肉体を考えないようにすることが何よりも大切である。特に病のときは病を忘れる努力をすべきである。一言でいうならば、「人間の健康も、運命も、心一つの置きどころ」、


 心が積極的方向に動くのと、消極的方向に動くのとでは、天地の相違がある。ヨガ哲学ではこれを、「心の思考が人生を創る」という言葉で表現している。


<生活の情味を味わう>
 生活の情味を味わわずに活きている人は、本当の人生生活はないといえる。もっと極言すれば、人間の幸いとか、不幸とかいうものは、結果からいえば、生活の情味を味わって活きるか否かに所因するといえる。


 貴賎貧富などというものは第二義的なものである。実際いかに唸(うな)るほど金があっても、高い地位名誉があっても、生活の中の情味を味わおうとしない人は、いわゆる本当の幸福を味わうことは絶対にできない。


<家庭について(抜粋)>
 人生は笑いで過ごすことである。一家揃って、特に主人をはじめ家族の外出や帰宅の際は、一層ニコニコすることが肝要である。多少の不満や不平はさらりと捨てて、況(いわん)や無始無終の宇宙生命に比すれば、人の命は決して長いものでない。


 従ってどんなに愛し合っても、また健康であっても、百年と一処(いつしよ)に生活はできるものでないということに想到したら、終始一貫笑顔で睦(むつ)まじく暮らすのが、最も正しい人生生活だと気がつくであろう。況(いわん)や、怒ったり、争ったりするために、家庭を持つのではないはずであるから…。


…つづく


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2016年10月3日月曜日

合気道と天風哲学1

 あまり表だって話をしたことはありませんが、高橋師範を始め、当会と関係の深い合気道小林道場の小林保雄師範、小林弘明師範、合気道研心会の畑山憲吾師範、そして、私も中村天風氏の天風哲学の影響を多々受けており、現在も日々実践中です。


 当会が武道の世界にありがちな「怖い」や「ストイック」なイメージとは一線を画し、とても明るく前向きな雰囲気で常に冗談が飛び交っているのはその影響があるようです。


 さて、中村天風氏とは?



 中村天風(なかむら てんぷう 1876年~1968年)氏は日本の思想家、実業家、元諜報員。日本初のヨガ行者で、天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は中村三郎(なかむらさぶろう)。

<参考>
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%A4%A9%E9%A2%A8



 明治9年(1876年)、旧柳川藩士の家系で東京に生を受ける。


 幼少の頃から手が付けられない暴れん坊で、明治から昭和前期にかけて活動したアジア主義者の巨頭で玄洋社の総帥でもある頭山満氏に預けられる。その後、玄洋社の豹と呼ばれる。


 6歳の頃より、随変流抜刀術を学ぶ。天風とは、自身の修めた隋変流抜刀術の「天風(あまつかぜ)」という技から名づけられた。


 16歳の時に帝国陸軍の諜報員(スパイ)となり満州で活躍。その後、人斬り天風と呼ばれる。


 諜報員時代の生活の影響からか、当時は不治の病であった結核を患う。


 結核を治すため、世界中を旅し、求道の日々を過ごす。


 病気を治すための旅の途上でインドの聖人カリアッパ氏と出会い弟子入りしヒマラヤでヨガを学ぶ。


 その後、中国で孫文が起こした第2次辛亥革命に参加したが革命は挫折。


 日本に戻り、東京実業貯蔵銀行の頭取などを歴任し実業界で活躍。


 その後、思うところがあり、すべての職を辞し、カリアッパ師に学んだヨガを基にした心身統一法を考案し、「統一哲医学会」を設立。


 街頭にて心身統一法の辻説法を始める。


 その後、「統一哲医学会」を「天風会」に改称。


 昭和43年(1968年)永眠。



 …私のイメージでは、「思想家、哲人、導師」というところでしょうか。


 中村天風氏の組織した天風会(現在は公益財団法人)には政財界の実力者が数多く参加されており、師事していたのは、代表的なところでは、東郷平八郎、ロックフェラー三世、宇野千代、稲森和夫、双葉山等々の錚々たる顔ぶれ。


 なお、合気道界にも、中村天風氏の天風哲学に影響を受けた師範が多数いらっしゃいます。


 二代目道主の植芝吉祥丸先生を始め、多田師範系列、佐々木将人師範系列、藤平光一先生の気の研究会系列がその代表といったところでしょうか。


 …つづく


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2016年9月26日月曜日

凶運を避ける方法

 「凶運を避ける方法」について、面白い記事がありましたので参考までに紹介します。


1.幸せの基準を下げる
 「生きているだけで幸せ、死にたいってやつがいたら、こう言えばいいよ、試しに三分息を止めてみな、その後息をしたら、あー生きてて良かったと思うはず」


2.すべてのことに感謝する(聖書)


3.陰ひなたなく働く


4.明るく笑顔でいる


5.自分の欲や栄誉名誉のためではなく、人のために役立つ生き方をする


6.「嬉しい、楽しい、ついてる」の天国言葉を口癖にする


7.「嫌なことがあったら有り難う、良いことがあったら感謝します」と言う


 小難しく書いていなくので、分かりやすくていいですね。



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2016年9月20日火曜日

生死に執着しない生き方

 「私達は、今も一歩一歩死に向かって行進している存在‥」。


 これだけは間違いのない真理、よっぽど暢気な人でなければ、一度は考えたことがあるはすです。


 ‥しかし、なかなか実感が伴わないために忘れがちですよね。


 さて、二十歳過ぎの頃の挫折以来、つい最近まで、いつ死んでもいいと思っていました。


 その挫折を乗り越えようと悩みに悩み、苦しんだ結果、掴み取ったこの世を楽に生き抜く方法、それは、「生死に執着しない生き方」でした。


 様々な悩み、それは、究極的に生死に行き当たることに気づいたからです。


 このため、余計な物は持たない、どんな人にでもできるだけ親切のありったけをしておく、葬式代程度は貯金しておく、守るべき物(者)は最低限、義理とつきあいはほどほどに、人に見せて恥ずかしいものは所有しない等々、現在も実践を続けています。


 結果、様々な意味でのチキンレースには負けたことがありません。


 そんな中、30代初期の頃、まだ少しだけ欲が残っていると気づきました。


 それは、「いつ死んでもいいけど、犬死にはいやだな」ということ。


 「犬死にはいやだ。せめて子犬を助けた‥とか、なにがしかの理由が欲しい」、そう、思っていました。


 まだ、名誉欲をぬぐい去ることが出来ていなかったようです。


 しかし、これもどうにか工夫して乗り越えたつもりでした。


 でも、先日、「これは未だ死ねないな‥」と感じることがあり、再び死というものを意識するようになりました。


 死という存在に対する意味と回答は、既に私の中ではできています。


 怖いというのではなく、「そうなったら寂しいな」という感じでしょうか。


 ただ、もう少し人生を楽しみたくなったというのが本当のところ。


 「まずいな-(笑)、せっかく乗り越えてきたのに‥。でも、まぁいいか」(ちょっとした開き直り)という感じです。


 そこで気がつきました。


 それは、「死というものに対して、気楽になっている」ということ。


 「生死に執着しないというのは、いつ死んでもいいということではなく、生にも、死にも、全く執着しないこと」が正解だったようです。



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2016年9月12日月曜日

封書を四十までに開け

 「封書を四十までに開け」


 “現代の覚者たち 致知出版社”の」覚者の一人、教育者の森信三氏の言葉です。
<参考>
http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=159&category_cd=SHOSEKI


 封書とは?


 要約しますと、


 「人は、この世へ送られた使命がある。その使命が何であるかは、神様が使命を記載した封書を一人ひとりに授けているため自らが開封するしか手段はない。それも、遅くとも40歳までに開封しなければダメだ」という意味です。


 さて、「音もなく 香もなく 常に天地(あめつち)は 書かざる経をくり返しつつ」という言葉がありますが、20代の頃からでしょうか? この言葉が頭の片隅から離れず、日々生じる所縁…、その意味を考え続けてきたように思います。


 その結果、ちょっとした“におい”程度ですが、自分の使命を30代半ばぐらいには感じていました。


 道場を開いたのも、もちろんその延長線上にあるからにほかなりません。


 私が道場を開いた年がちょうど40歳でしたので、先ほどの封書の話からすると、天からギッリギリ(笑)で合格証書をいただけたのでしょうか?


 それとも、「この方向に進めばよいのだよ!」と、何者かが背中を後押ししてくれているのでしょうか?


 何かそのような気分です…。


 この本は素晴らしい本です。


 久しぶりに電気が走りました。


 見識のある志の高い人の言葉は重みがありますね。


 今後も変わらず、「いかにこの人生を生ききり、魂を磨き究(極める)めるか」を、武道を通じて考えてまいりたいと思います。



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2016年9月5日月曜日

愚者は成時に闇く、智者は未萌に見る

 「愚者は成時に闇く(くらく)、智者は未萌(みほう)に見る」 戦国策


 「愚かな者とは、悪い物事が起こってきた段階でも、まだ気づかない人物であり、智慧のある者とは、まだ兆し(萌し)が起こった段階であらかじめ察知し、最適な対策を講じることができる人物のことですよ。」


 …という意味でしょう。


 未萌に見るとは、言わば危険察知能力。
 厳しい実社会を安全に生き抜くためには大事なことです…。


 参考までに「合気とは、敵の仕掛ける技を未然に察知できる能力のことだ」と説明する古武道家もいらっしゃいます。


 確かに敵の仕掛ける技が未然に察知できれば、これに越したことはありませんね。


 なお、この「智者は未萌に見る」は元来、武道家の徳の一つとして重要視されてきたものです。


 さて、社会生活上では、

 1.「何となく気になる。または、何となくそんな感じがする」、

 2.「自然と周囲から自然とある方向性へ誘導されている」

 …が羅針盤です。


 もちろん、これには空気が読める以上の感覚(嗅覚?)が前提になります。


 このことが理解できる精神状態で、この事実に確信が持てた場合にようやく「見えないものへの感謝」や「おかげさま」の意味が理解できるようになり真の信仰心が生じます。


 このうえで始めて、「智者は未萌に見る」ことが可能になるようです。


 何も宗教の話をしているのではありません(笑)


 古今東西の「覚者」と言われてきた人には、当然のこととして生じる事実ですし、「このことなくして大成することはない」と喝破する空手家も存在します。


 合気道開祖植芝盛平先生の神業も「未萌に見る」ことなくしては不可能でしょう 。



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2016年8月22日月曜日

人は楽を得んとして苦しむ

 「人は楽を得んとして苦しむ」



 近所の仙光寺の掲示板に掲載されていたのを散歩中に発見!


 …そのとおりですね。


 ちっちゃいことや姑息なことは考えず、


 無私無偏!!


 真っ直ぐ生きたいものです。



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2016年8月8日月曜日

戦氣

 「戦氣」(せんき)。


 宮本武蔵の書が有名ですね。


 戦いに臨んだときの気迫を表現している言葉と言われています。



 武蔵の書は、この戦氣の後に「寒流帯月澄如鏡(かんりゅうつきをおびてすむことかがみのごとし)」という唐代の詩人白楽天の詩の一句を付け加えています。


 冷たい冬の夜、川面に映る月が鏡のように澄みわたっているという意味でしょう。きっと、澄みわたる心の状態が戦気に通じるといった意味で書かれたのでしょうね。


 いわゆる合気道における「すみきり」の境地。


 この置物は、今は亡き書道家の押川仁さんから道場開きのお祝いにいただいたお気に入りの品です。


 大事にします。



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2016年8月1日月曜日

男の順序

 先日、テレビで明治維新の志士たちが学んだ剣術として薬丸(野太刀)自顕流が紹介されていました。


 私も生で、幾度となく拝見しましたが、たいへん迫力があります。


 特に青少年の心と身体を練り上げるのには、とても素晴らしい剣術だと感じています。




 さて、話は変わりますが、薩摩と聞いいて、久しぶりに「薩摩の訓え『男の順序』」を思い出しましたので紹介します。


【薩摩の訓え ~ 男の順序】

  一 何かに挑戦し、成功した者
  二 何かに挑戦し、失敗した者
  三 自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
  四 何もしなかった者
  五 何もせずに批判だけしていた者


 同じ九州人だからなのでしょうか?


 この格付けは適当だと感じますが、皆さんはどのように感じましたでしょうか。



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2016年7月25日月曜日

剣の法(Ken no nori)

 「剣の法(Ken no nori)」



 ‥勝つことを活かすことに、殺すことを創ることに‥。


 ありがたい‥。


 上級者向けでたいへん難解な本ですが、久しぶりに面白い本に出会えました。


 立教大学教授で新陰流武術探究会を主宰されている前田英樹先生の著作です。


 でもこの本、注意が必要です。


 前田先生独特の哲学者のような説明と武術的専門用語の多さから、人によっては、まったく面白くない(笑)はずです。


 前田先生の本は、「剣の思想」、「宮本武蔵五輪の書の哲学」、「独学の精神」、「倫理という力」などを通じて多々影響を受けてきましたが、私にとっては、群を抜いてこの本は面白いと感じています。


 年齢を重ねるごとに様々な理由から、薄っぺらな書籍は読むに堪えなくなります。こんなに考えさせられた本は久しぶりですね。


 さて、御存じのとおり、タイ捨流剣法は、元々は新陰流です。


 タイ捨流は、新陰流二十世の柳生厳長師範が雄一認めた「新陰流の正統」(著書 正傳新陰流より)でもあります。なお、その他の新陰(影)流を名乗る流派は一切正統だとは認めていないようです。


 私は、タイ捨流も新陰流も縁により結果的に学ぶことになりましたが、両方を学んだことで、「なぜこのような動きをするのか?」等々、形骸化していると思われる部分の解読にたいへん力になりました。


 最後に‥、新陰流も世界に誇れる素晴らしい剣術ですよ。



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2016年7月19日火曜日

三世一貫の理(タイ捨流武道哲学)

 参考までにタイ捨流剣法の哲学「三世一貫の理」を紹介します。


 多分、タイ捨流の歴史において初めて発表するものだと思いますが、たいへん重要な内容ですので、ぜひ覚えてください。


 きっと、人生において何か重要な判断をしなければならない時の指針になると思いますよ。


 なお、タイ捨流等の伝統武道、若しくは古武道と言われるものには、生死の境を垣間見た先人たちの素晴らしい教え、哲学、智慧が残っていることに驚かされます。


 私もずいぶん助けられましたし、今も助けられています。


 内容については、多少宗教哲学的になります。


 なお、このような話にアレルギーがある方もいらっしゃるとは思いますが、そのような方には必要のない教えですので、ここから先は読み飛ばしてください。



 さて、「三世一貫の理」とは何か?


 「人は必ず死ぬ『生き物』である。


 人とは、物質体と意識体、つまり『肉体と意識体(魂・心)』それぞれ存在する次元の異なる世界を越えて合一したものであり、死とはその物質体のみが消耗しつくした状態のことをいう。


 物質体は、有限な存在で所謂消耗品である。


 意識体は、人の死と共に亡くならない無限な存在である。


 この意識体(魂)は、自我滅却を目的とした経験を積むためにこの人間界に修業に来るが、有限な存在の物質体(肉体)が消耗しつくし死を迎える。


 意識体は、『一般的に』来世へ向かうために一旦は中間世へ向かい、その後来世へ生まれ変わる。


 『一般的に』と表現したのは、人間界の修業が完了した人は、生まれ変わる必要がなくなるためである。


 次に『過去世-現世-来世』、若しくは、『現世-中間世-来世』のことを三世という。


 この法則を理解し、人生の判断基準の一つとして活用して、三つの世を一貫して生きることで初めて正しい人生を生きぬくことが可能になり、真に生き生きとした人生、前向きで積極的な人生を歩めるようになる。


 この法則・原理を理解し、人生を達観しなさい。」


  ‥ということ。 このことを『三世一貫の理』といいます。


 信じる、信じないは皆さんの自由です。


 なお、合気道開祖は、「この合気道において禊をし、精神の立て直しをするのです。『この肉体は黄金の釜』であります。霊魂をつくり直すことができるのです。」と話されています。


 人間界に修業に来た魂を練り直すために必要な肉体のことについて、このように表現されたのだと思いますが、皆さんは、どのようにお考えでしょうか。



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2016年7月11日月曜日

日本人は幸せなのだろうか‥

 清貧な暮らしぶりから、「世界一貧しい大統領」と呼ばれていたウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカさんが来日されました。


 そして、訪問した大学での講演での言葉。


 「人生で最も重要なことは勝利することではなく、転ぶたびに起き上がることです。そして、自分の意思を持って生きることです」、


 そして、日本人について一言、


 「日本人は、勤勉で地とても優しい。しかし、若者は夢を持てなくなっていると聞きました。果たして日本人は幸せなのだろうかと自問しました」、とのことです。


 私の海外を巡っての感想では、日本ほど安全で快適に生活できる国はありません。


 しかし、幸福は本人の心の尺度の問題。


 結局のところ、「道ばたに花が咲いた」、「今日の夕焼けがきれい」、「ちょっとした気遣いを喜ばれた」など、小さなことに感謝できる人が幸せなんだろうと思います。


 宗教家が「感謝!」をよく口にされるのもこういった理由からでしょうね。


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2016年7月4日月曜日

非切の太刀5(終わり)

‥前回からの続き


 武道において、人を投げたり、痛めたりするという段階も必要なのかもしれませんが、結局のところ、真の武道では、そのようなことは二の次です。


 真の武道とは、明鏡止水の境地を求め、無心で修練し心身を浄化することが目的です。


 結果、武道は、神道における「禊」と同じ概念になるのでしょう。


 ここが理解できて初めて、「最大の敵は自分自身の心‥」という意味が理解できることでしょう。


 道とは、常に正しい心の状態を求めるものですが、大事なことは、いったんこの正しい心の状態、「真の自然体」に至ったならば、「心がもともと持っていた働きを取り戻し、本来の活動を始めだす」ということです。


 これを私は、「魂の発動」と呼んでいます。


 どのような現象が起きるかと言いますと、「落ちる飛行機には乗ら(れ?)なくなる」、「ネズミ取り(警察の取り締まり)にはかからない」、「なんとなく振り返ったら事故から免れた」等々、テレビや雑誌で「奇跡」と紹介されているようなことが身の回りで起こり始めます。


 そして、自然体の人は決して騙すことはできませんので、「なんとなく怪しい人、危険!」と感じて、詐欺などには一切ひっかからなくなります。


 これは、心が持っている本来の機能であり、十悪が心の機能を発揮させなくしていただけです。非切りの太刀を習慣化することで、この機能が蘇ります。


 そして、この心の状態を維持し続けると、このようなことは日常茶飯事になり、当人にとっては奇跡なんかではなく当たり前のことに感じることでしょう。


 最後に‥、合気道界では、このような「邪心をはらい清めた精神状態」のことを『魂の比礼振り』(こんのひれぶり)と呼び、転じてこの精神状態から発する自己防御作用(魂の発動)のことも同様に“魂の比礼振り”と表現します。


 この“魂の比礼振り”は、剣でいうところの、一刀流の「夢想剣」や直心影流の極意である「直心」と同じものだと私は見ています。


 非切の太刀とは、心の非を斬る太刀、


 最後の敵はあくまで自分の心‥、日々是修業ですね(笑)


‥終わり


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2016年6月27日月曜日

非切の太刀4

 自分の心が「青空」状態になっていない場合は、下記1~3のいずれかが該当すると思われますので、その内容に応じて対処します。なお、1~2の解消法については、既に前述しました。


 1.生命エネルギーが不足(赤字)している場合
 2.ショッキングな出来事に遭遇した場合や燃え尽き症候群に陥った場合
 3.十悪により心が曇っている場合


 上記の「3」に該当する場合は、客観的に自分の心を観察し、十悪「我慢、過信、貪欲、怒り、恐れ、危み、疑い、迷い、侮り、慢心」が心を曇らせていないかを照らし合わせます。


 十悪が関係していると判断できれば、その原因を探り、自身の心を納得させる作業を行います。逐一コツコツと実践するのがコツなのですが、やりすぎると精神的に病む恐れがあるので、初めの頃は習慣(癖)にしていく程度の意識でやるのがよいと思います。


 次は、心を曇らす原因を作らないよう「何をするにおいても、そこに感情をはさまない訓練」をします。例えば、「あれやっといて‥」と言われた場合、素直に「はい」と行動に移し、一瞬も「面倒だな‥」とか「いいよなー、言うばっかりで‥」とは一切考えない(笑)工夫(修業)をする。これを「超作」と言います。


 そして、最終的には、敵を前にしても真っ新な心境で対峙できるか? 常に明鏡止水の境地で技が練れるか? そこのところを武道で練りに練ります。ここが武道の妙味だと思います。一番難しく、一番面白いところです。


 一度そこに至ったら、武を練りながら心を綺麗にするという作業が主になってくるので、武道は全て「練武洗心」が稽古の中心になるはずです。なお、ここに至った人が「道を歩む人」と言えます。


 そして、これが合気道が競技を行わない大きな理由の一つです。
 競技を行う武道、若しくはスポーツは、武道本来の目的である「明鏡止水の境地を目指すこと」や「見性悟道」など、最も大事なこの点が疎かになりやすく、また、勝ち負けにとらわれすぎるなど、さらに業(ごう)を増やす結果になりがちなので注意が必要です。


 これは競技武道がダメというわけではなく、要は塩梅の問題です。


 また、競技を行わない武道がよいというわけでもなく、この場合も現実から乖離していくなど問題も多々あるようです。


 ‥つづく(次回で終了)




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2016年6月20日月曜日

非切の太刀3

 今回は、少し脱線します。


 結局、不遇な時期の原因とは、①「運気のバイオリズムによるもの」と②「自分の蒔いた種が実を着けたもの」の2種類に分かれます。


 この両者、実は時期がよく重なります。
 このため、辛い試練の時期になりがちです。


 ①の場合は、それぞれのバイオリズムを理解し、それぞれの運気に応じて対応すべきです。これは、合気道の体捌きに通じるものがありますよね。これが本当の意味の活人剣ですので、心も身体も居着かないよう対応しましょう。


 やっかいなのが②の「自分の蒔いた種が実を着けたもの」の場合です。
 結局、自分で蒔いた種は、自分で刈り取らねばならないのがこの世界の法則です。


 苦悩や煩悶とは、「すべてその人の過去から現在までにいたる行為・思い・想念・感情などが悪因となり、ある時期に機が熟して現象化するときに生じる苦しみ」のことです。


 ちなみに般若心経の一つの解釈として、人間は観自在な菩薩である存在であり、その人の想いというものは、基本的に現象化する力を持っていると話される方もいらっしゃいます。


 具体的には、善い想いを描けば、善いことが現象化し、悪い想いを描けば、悪いことを現象化させる力を持った存在だということ。また、見方を変えれば、この世には、このような法則性があるということ‥、結局、その人の想いが人生を形づくるということです。


 しかし、それがいかに辛いことであれ、「自分の蒔いた悪因がいったん現象化すれば、その悪因は全て消え去った」ものと理解、そして確信し、決してマイナスに受け取らずに、「消え去ったならば必ずこれからよくなっていく!」、これを信念化して人生を歩んでほしいと思います。


 そして、「二度とその悪因を掴まない」こと、
 これがとても重要です。


 具体的には、悪いことが現象化してしまったら、「あぁ(汗)、私が以前、悪因となる悪い想いを発したためにこのようなことが起こってしまった‥。しかし、いったん起こってしまったのであれば、その悪因が消えたも同然。もう気にしないぞ! これからは絶対に良くなる」と『善い想いを発することが大事』です。


 しかし実際は、その逆をやりがちですよね。
 例えば、「あぁ(汗)、私が以前、悪因となる悪い想いを発したためにこのようなことが起こってしまった‥。私の人生悪いことだらけ、きっとこれからも悪いことが続くのだろう。自分は何も悪いことをしていないのに‥。それもこれも、あの人達のせいだ‥」等々‥、


 これがさらに悪因をつくった状態です。
 また、昔の悪因を再び掴んだ状態とも言えます。


 これをやると再び悪因を蒔き散らすことになりますので、絶対にやるべきではありません。


 悪いことが起こったら、「これも私が発した悪い想いが現象化してしまったのだな‥(反省)、しかし、いったん現象化したら、その悪因が消え去ったも同然。これからは絶対に善くなる!」と善い想いを発するよう心掛けましょう。


‥つづく




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2016年6月13日月曜日

非切の太刀2

 心法の稽古について説明します。


 まずは、心というものは、「晴れ晴れとしているのが『本来の姿』」だと理解することが肝心です。


 次に自分の心について、感情を交えずに客観的に観察し、「心が青空」状態になっていない場合は、下記1~3のいずれかが該当すると思われますので、その内容に応じて対処します。


 1.生命エネルギーが不足(赤字)している場合
 2.ショッキングな出来事に遭遇した場合や燃え尽き症候群に陥った場合
 3.十悪「我慢、過信、貪欲、怒り、恐れ、危み、疑い、迷い、侮り、慢心」により心が曇っている場合


 1の生命エネルギー(気)の不足が原因の場合は、呼吸法や気功法などにより赤字分のエネルギーを補いましょう。また、栄養価の高い食品を摂取し、積極的に休養するよう努めましょう。


 呼吸法や気功法の本質は、いわゆる「気の赤字」を黒字化するためのものです。長期休暇を取る場合によく「充電する」と表現したりしますが、見える人から見ると本当に生命エネルギーを充電しています。なお、呼吸法や気功法の詳細については、別の機会に譲ります。


 2のショッキングな出来事に遭遇した場合、燃え尽き症候群に陥った場合などに一種の虚脱状態になる場合があります。よく「心にポッカリ穴が‥」がというのがこのことです。失恋もこの類に該当します。


 これは、体を動かす大本である意識体が活動をほぼ休止している状態のことです。自身の心を納得させるための作業「心の切り替え」が必要なので、症状にもよりますが一定の時間が必要な場合が多いようです。


 このような場合、一見「根性がない」、「甘えている」と言う風に見えてしまいがちですので、活動できない状況にある者に対し、結果的に無理強いさせる結果になり、余計ややこしくしている感がありますので注意が必要です。歯がゆいですけど、周囲の人は大らかに接し、本人自体は、多少開き直る必要があるようです。


 このような期間は、旅行に行く、いろんな映画を観る、様々な本を読み漁る等々、「気分一新」に努めるべき時期です。その場合に信じてほしいのが、この期間は、とても辛い時期ですが、「少しずつ成長している期間」でもあるということ。具体的には「自我が少なくなりつつある時期」であること。なお、特別な場合を除き、身体を動かす元となる意識体が気分一新しさえすれば自然と活動を始めるようです。


 また、いわゆる「立ち直りが早い人」とは、自身の心を納得させる切り替え作業が速い人のことですが、立ち直りが遅い人でも経験を積み重ねることでこれが可能になります。


 若い方は悩んでいる時間がありますので、臆病にならず、積極的に棘の多い門松を何度もくぐり、さらにはたくさん赤っ恥をかき(笑)、思いっきり失敗しときましょう。


 徐々に立ち直り方が速くなりますので将来きっと得しますよ(笑)



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2016年6月6日月曜日

非切の太刀1

 梅雨入りに伴い、少し蒸し暑くなりましたね‥。


 この暑さで、稽古のモチベーションが下がっていらっしゃる方はいませんか?


 また、新年度の気疲れで気分が盛り上がらない方もいらっしゃるのではないでしょうか。


 そのような方には、特に道場に通わなくても日常生活でできる「心法の稽古」をオススメします。武道とは、何も道場で体を動かすだけが能ではありません。


 今回は、一番重要だと思う「非切(ひきり)の太刀」を紹介します。


 これは、鹿島神傳直心影流五代目の神谷伝心斎(直光)が晩年、剣術について、「これまでの全ての試合は外道であった。己を捨て、直心で行い、邪心を絶たねば自然に悖る」と考え、極意を得るための稽古法として伝えたものだと言われています。


 さて、この非切の太刀とは“切るに非ずの太刀”ではなく、“自分の非を切り捨てる太刀”のことで、具体的には、心を乱す己の邪心(非)である「十悪」を切り捨てていく作業のこと。なお、この場合の十悪とは、仏教の十悪(殺生、偸盗、邪淫‥)とは異なります。


 この場合の十悪は、「我慢、過信、貪欲、怒り、恐れ、危み、疑い、迷い、侮り、慢心」のことであり、いわゆる邪念・邪心・妄念といった心が乱れる原因を指します。


 武道的に言えば「心が居着いた十の状態」のこと。


 これらは全て心を曇らすものであり、“心が本来持っている機能を発揮できない状態”、または“心のありがたさを失わせるもの”だと言えます。


 武道や禅の世界で言うところの「無念夢想」、「明鏡止水」、「三昧の境地」等とは、これら十悪を全て掃(祓)い清めた状態のことであり、また、私は直心影流の極意「直心」についても上記と同じ意味だと見ています。


 なお、私はこの状態を“心が青空”と表現し、「常に心が青空のように澄み切った状態を維持する」ことを心掛けるように指導していますが、嬉しいことに子供達もけっこう理解してくれているような気がします。


 「稽古とて ほかに求むる道もなし 心の塵をはらうばかりぞ」
 (示現流開祖 東郷重位が師から教わったという歌)



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2016年5月30日月曜日

「武産」(たけむす)

 合気道開祖植芝盛平先生は晩年に、


 「宇宙と結ばれる武を『武産』の武というのである」、


 「宇宙の経綸にあった武の技を生むのが合気の使命なのである」、


 ‥と話されていたそうです。


 結局のところ、合気道修行の最終段階は、「武産」(たけむす)なのでしょう。


 最近、この言葉に、ようやくピントがあってきた気がします。


 これは、合気道を人間相手の技、つまり「人」を相手にしていたら分からないのではないか‥、そう思います。


 やはり、天や宇宙を相手にした合気道、というくくりで理解しないといけない気がします。


 植芝盛平先生は、普段から「まず天之浮橋に立たなければならない」と言われていたようですが、これは、宇宙の入口と解釈することで理解できますね。


 合気道は武術ではあるが、その段階に踏みとどまってはいけない‥、やはり宇宙の研究が必要です。




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2016年5月23日月曜日

直心是道場

 「直心是道場」という言葉が、維摩経というお経の一節にあります。


 修業の場を求めている童子から「どこか素晴らしい道場はないでしょうか?」という質問を受けた維摩居士が、「道場というものは外に求める必要はありません。直心是道場ですからね」と諭した内容からきたものです。


 「直心」とは、「正直で素直な心」また「自然な心」のこと。


 この直心さえ見失わなければ、場所など関係ないという意味でしょう。


 さて、その直心を理想とした「直心影流」という古流剣術があります。


 もう随分前ですが、剣道の先生からこの直心影流の形の一つである「法定」という一見単純で、無骨で華やかさなどは微塵もない4本の組形を学んだことがあります。


 この先生は、いつも一人でウンウン唸りながら太い木刀を使用して20分程度形を行っていたため、始めは一人で行う素振り用の形だろうと思っていましたが、何故か強く惹かれるものを感じていました。


 ‥この先生は、きっと打ち合う相手が欲しかったのでしょう。


 「面白いものではないよ」、「どうせ続かないと思うよ…」 などといいながらも懇切丁寧に教えていただきました(笑)


 確かに若い時の私には、何がなんだか・・・よく分かりませんでしたが、「教えてください」と言ってしまった手前、この先生が異動になるまで相手をさせられた思い出があります(笑)


 ただ最近、この形の素晴らしさがようやくわかり始めました。


 「もっと真剣に学んでおけばよかった…。」というのが正直な気持ちです。


 門外漢ながら、最近この「法定」の形は、直心影流剣術哲学の集大成ではないかと思いはじめています。


 その剣道の先生も「この形を真に体得できればいいんだ」とか、「この形さえできれば人生で行き詰まることはないのだが‥」などとつぶやかれていました。


 私も当時の先生の年齢に近づき、ようやく真の意味が分かってきました。


 単純な「八相発破」、「一刀両断」、「右転左転」、「長短一味」という4本の形なのですが、求めるものは剣の技術だけではありません。


 「八相発破」は、機先を制することを主眼とした形。


 「一刀両断」は、捨て身、刺し違える気持ちを練る。


 「右転左転」は、臨機応変さを学ぶ。


 「長短一味」は、即今只今ここで死ぬことを求める形です。


 また、「八相発破」は春、「一刀両断」は夏、「右転左転」は秋、「長短一味」は冬という風にも表現されています。


 結局のところ、


 「問題が起こる前に対処する」

 「欲を捨て去る」

 「自分が変わらないために変化していく」

 「そして悟ること」


 この四つを真に修練しておけば「人生途上で行き詰まることはない」ということだと思います。


 表現は私風ですが、以上のことを学ぶためにウンウン言いながら、丹田に力をこめて行います。


 もちろん剣の技術も学ぶのですが、主眼は別のところにある・・・。


 日本武道は、やはり奥が深いものですね。



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2016年5月16日月曜日

武道と料理(下)

 ここまで読んで気づかれた方も多いと思いますが、武道界も全く同じだと思います。


 合気道で言えば、例えば「小手返し」という技(料理)があるとすれば、指導者が構え方、手の握り方、体捌き、ステップなどの基本レシピを伝えます。


 古武道で言えば、型(料理)があるとすれば、指導者が一つ一つ構え方から剣の握り方、重心の位置、歩法などの基本レシピを伝えます。


 そのレシピの良し悪し、若しくは伝え方で門弟の技術に優劣が生じる。


 しかしながら、料理の“味を盗む”と同じで、武道界では、“技を盗む”と表現するように基本的なことを学んだら、心法、コツ、力の入れ方・抜き方などは自得しなければなりません。


 自得するほうがよいのです。


 いや、「するべきだ!」と言うべきかもしれません。


 自得するためには、なぜこうなるのか?
 ‥など、自分自身で考える癖や見る目を養わなければならず、その解決のために勉強し、稽古方法を編み出す。


 そして、自分の心身に応じた技を身に着けていく‥。


 自得するには、自己流では難しいし時間がかかります。やはり師の身近にいて学ぶことが最短距離だと思います。


 ‥料理人の世界と全く同じですね。


‥ということは、料理人と同じように私たち武道人も、自身の技のレシピを大事にするのはもちろんのこと、「レシピを改良(改善?)し続ける」作業も必要でしょう。


 また、新たな料理(技)を編み出すことを常に念頭に置いておき、伝統的レシピを元に常に半歩革新していくことが求められます。もちろん音楽家や書道家などの芸術の世界でも全く同じですね。


 楽譜などを元に学び、最後に自身の生き様なども含めたその人独自の表現を模索する‥。
 全く同じです。


 伝統を守り続けるだけではなく、常に半歩革新していく心構え‥。
 易経で言うところの「不易流行」。


 こうしなければ、どの世界も生き残ることができないのかもしれません。


 どうもこの世界は、「進化、そして向上」の伴わないものは、「自然に消え去るという法則」が存在するように思います。


 きっと、これも宇宙の意思なのでしょうね。


‥終わり



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2016年5月9日月曜日

武道と料理(上)

 数年前に日本料理が世界無形文化遺産に認定されたそうですね。


 料理はほとんどできませんが、芸術の一環としてとても興味があります。


 もちろん食べるのが大好きなのも理由の一つですが‥(笑)


 さて、日本料理の世界には、たいへん質の高い独特の文化が現在も残っているようです。


 「おもてなし」のための料理の素材選定はもちろんのこと、器・掛軸、果ては川のせせらぎの音や鳥の声までも最善の状況を選定する。


 お茶の世界にも通ずる究極と表現するしかない心遣い‥。


 京都府が提唱した「日本料理を世界遺産に‥」というのも理解できます。


 少し前のこと、知り合いのM料理長を通じて料理の深さを学ぶことで自身の武道への取組みに変化が現れてきました。


 ご存知のとおり、それぞれの料理に対してレシピというものがあり、これを一部の料理界では秘伝の如く大事にされているらしい‥。


 味を盗まれた時点で盗んだ人と同列になってしまうので、秘密にするのは当然のことだと思います。


 しかし、このレシピは楽譜のようなもので、その細かい作業、ちょっとしたコツ、雰囲気などは伝わりません。


 やはり、こういった細かい点は、縁のある師匠に弟子入りして学ばなければ理解することはできないのでしょうね。


 もちろん独学という手法もありますが、逆に時間と手間とお金がかかりそうな気がします。


 やはり師事して、その息遣いや力の抜き加減などを身近で学び、そして実践し評価を受けなければ身に着けることは困難でしょう。


 しかし、世の中には天才と呼ばれる方も実際に存在するので、このような方は独学による独創性を追及するのも一つだとも思いますが、一般的には難しい手法だと思われますね。


‥つづく



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2016年5月2日月曜日

亀の子たわし強健法(下)

 風邪などのウィルス性の病気や皮膚病等に強くなることはもちろんですが、全身の血行が良くなるからなのか、「慢性病や冷え性・リュウマチ等まで治る可能性がある」と言われているようです。


 そして重要なのが、気分が前向きになるなどの「活力が得られる」こと。


‥健康法というより「強健法」と言うべきかもしれませんね。


 なお、超人肥田春充氏も愛用したことで知られています。


 ウソだと思う人は、ぜひ試してみてください。


 もちろん一回やっただけでは、そのような効果は得られませんが、日々習慣化していくことで、ある時に「あれっ」とその効果に気がつくはずです。





 なお、呼吸法や気功法を学んでいる方には、その効果が増加するとの報告もあるようですよ。


さて少し前のこと、数日間大阪へ行ってきたのですが、休憩時間を除き10時間ほど立ちっぱなしの仕事で足腰がたいへん疲れました。


 そのうえホテルとの往復など、田舎者にとって都会生活は疲れます‥。


 さすがに出張に亀の子たわしは持っていかなかったのですが、その全身疲労の具合から「たわしで全身を擦りたい衝動」が‥。


 たまたまホテルの隣に薬局があったので、「108円」で亀の子たわしをゲット!


 買ったばかりの亀の子たわしは痛いので、少し柔らかくして‥。


 特に「足・脚」を中心にゴシゴシと全身マッサージを行いました。


 すると次の日は「快調♪、快調♪」。


 疲労回復にもたいへん効果があるように感じました。


 次回から出張の必需品になるかも?


 でも人に見つかると「変人」と思われるので取り扱いには注意が必要ですね‥(笑)


 ちなみにたわしで肌を擦ると荒れそうな気がしますが事実は逆です。


 老廃物は完全除去、またその刺激から肌が活性化するようで、結果、潤い成分が増すのか肌がツルツルになります。


 このため、特に女性にオススメしたい強健法です。


 ‥終わり



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2016年4月25日月曜日

亀の子たわし強健法(上)

 先日、テレビで俳優の高橋英樹さんが健康法について熱く語られていました。


 高橋氏は、芸能生活55年で、現在72歳。この年齢であの若さ。


 実は、「あの若さの秘訣はなんなのか?」と、以前から気になっていました。


 高橋氏は、幼少の頃病弱だったようで、以前に「これまで様々な健康法を実行してきた」と何かの雑誌で読んだことがありますが、今回、その一端を公開されました。


 そしたらなんと「亀の子たわし健康法」‥。

<参考>
http://archive.is/TNdSi





 実は、私もやっています‥。


 少し違うのが、高橋さんは、乾布摩擦のツールとして亀の子たわしを使用。


 私は、お風呂で体を洗うツールとして亀の子たわしを使用、‥の違いです。


 でも、これで確信がもてました。私はここ数年鼻風邪程度しか病気をしていないですし、寝込むのは二日酔いのみ‥。


 やっぱり健康にいいように感じます。


 具体的なやり方は、私の場合、一番大きいサイズの亀の子たわしで全身を洗うだけです。


 しかし、初めは少し痛い‥。


 買ったばかりのたわしは毛の先端が尖っていて痛いので、お湯につけたあとにタイル、石、コンクリートなどでこすって毛先を柔らかくするなどのちょっとした手間は必要になります。


 効果としては、全身の血行が良くなり皮膚が強靭になりますよ。


‥つづく



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2016年4月18日月曜日

置かれた場所で咲きなさい

 ベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」を読んでみましたが、とても良い本だと思いました。感銘を受けました。


 そこで、著者の渡辺和子さんが講演された内容について紹介します。


 「18歳で洗礼を受け30歳の頃、岡山県のノートルダム修道院に入り、米国・ボストンの修練院に研修に行った。そこでは、小学生でもできる単純作業もさせられた。ある日、食事のため100人分の皿やコップをテーブルに並べていると、修練長から『何を考えて並べていた?』と聞かれた。『何も考えていない』と返すと『時間を無駄にしている』と言われた」、


 「その後、修練長は、『同じ皿を並べるなら一人一人のために祈りながら並べてはどうか』と言った。たとえ単純であっても、愛を込めて作業をできるのは人間だけ。『※時間の使い方は、命の使い方』であり、『つまらない』と思って作業をすれば、その時間だけつまらない、取り返しのつかない時間を過ごすことになる。世の中に『雑用』という用はない。すべての用は、自らの意志で意味を持たせることができるのだ‥」。


 ‥修行者には、よくある話ではあるのですが、『時間の使い方は、命の使い方』の表現に惹きつけられました。


 良く考えれば当たり前のことなのですが、今まで気が付きませんでしたね。
 そのとおりだと思います。
 勉強になりました。



 「‥私の母は、たいへん厳しい人で、欲しい物をねだっても買ってもらえず不自由ばかりしていた。母は『今喜ぶ顔を見ようとは思わない。将来つらいことや苦しいことがあるときに乗り切れる大人に育てる』と言っていた。


 米国の故ケネディ元大統領が好んだ言葉がある。『神から安楽な生活を頂こうとは思わない。どんな生活でも乗り切る力が欲しい‥』


 いかなる状況や場所に置かれたとしても人のせいにせず、懸命に生きることを母から教わった‥」。


 「そして、最後に一言。どんな仕事も雑用と思わず頂いた仕事にふさわしい人間になり、どんなことにも感謝してほしい。『自らがいる故に周りの環境を悪くしてはならない‥』」。


 自分の命をどう使うか?


 生きていく上での「新たな視点」を与えられた気がします。


 私もこのような話のできる有益な指導者になりたいと心より感じました。


 よかったら「置かれた場所で咲きなさい」を読んでみてください。
 

 実にためになる本です。


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2016年4月11日月曜日

八卦掌と意拳、そして合気道(下)

 最後に意拳(大成拳ともいいます)について書いてみたいと思います。


 歴史的なことや基本的なことは下記の参考でご確認ください。


<参考>
http://www.h2.dion.ne.jp/~shokubak/yiquan2.htm

http://www.h2.dion.ne.jp/~shokubak/yiquan3.htm


 さて、意拳ですが、日本では太気拳、正式には太気至誠拳法といったほうが分かりやすいかもしれません。


 太気拳創始者の澤井健一先生が戦前、意拳創始者の王向齊先生に学び、日本に持ち帰って新たに創始したのが太気拳です。しかし、その頃は拳法を集大成させたという意味から意拳ではなく大成拳と言われていたようですね。


 この拳法は、厳格な型を学ぶ「形意拳」から生まれたのですが、型がありません。
 型を廃止したというほうが正確でしょう。


 王向齊は本質論者であったようで、極端なことを言えば、型を廃して気功で本質的な動きを練り、そして組み手だけというなんとも一見単純な拳法を編み出しました。


 しかし、困ったことに逆に難解になってしまいました。


 例えば、どう突けばいいのですか? と質問すれば、


 「あなた自身が叩きやすいように」と返答がきます。


 最近はボクシングを取り入れた北京の「姚宗勲」先生の影響でボクシング的な突きを教える道場が多いようですが、本質的には突き方さえ決まった型がありません。


 突き方一つとってもその人の体質や気質によりそれぞれ異なる! ‥という考え方なのです。


 さて、その意拳、形意拳から生まれたのですが、形意拳には全く似ていません。


 どちらかというと白鶴拳(特に食鶴拳)に似ています。


 これは、王向齊先生が中国全土で武者修行を行い、その土地、その土地で挑戦者を募り、試しあうことで少しずつ自身の拳法を改良してきたためだと思われます。


 この武者修行中に白鶴拳、梅花拳、少林拳(心意把)には負けたことがあるようで、これらの拳法は特に研究したそうです。


 しかし、一番研究したのはどうも八卦掌のようです。


 程派八卦掌の創始者である程廷華とは実際に交流があったようで、八卦掌修行者に対して「八卦掌は単換掌と双換掌だけをじっくり研究・修行しなさい。後は必要ない」と助言しています。


 以前にも書きましたが、八卦掌の型は、各流派間でかろうじて似ている場合があるのが型の1~2本目の単換掌と双換掌なのです。


 これらはとても簡単で短い動きの型です。

 特に単換掌なんかは歩いていて方向転換するだけなので、型と表現してよいものかは疑問なぐらいです。


 いったい董海川自身の八卦掌は、どのような武術だったのでしょうか?


 興味が尽きません‥。


 意拳の王向齊先生が八卦掌を研究していたらしいとの話はしましたが、ここで意拳と八卦掌の共通点を述べてみます。


 意拳は、
 站樁→摩擦歩(歩法)→試力→発力→推手→散手(組手)→武器術


 八卦掌は、
 站樁→走圏→換掌式→走圏(歩法)→八母掌→掌法変化→推手→散手(組手)→武器術
 ※流派により異なります。


 具体的には両武術共に武器術を除くと、
 気功法 → 歩法(気功) → 技術鍛練 → 推手 → 組手


 ‥これだけのようです。
 無駄のないシンプルな武術‥。


 見た目的には全く異なりますが、本質的には同じ武術だと考えられます。


 もちろん意拳は站樁(気功)重視、八卦掌は歩法(気功)重視で修練の比重の置き方は異なりますが、両者ともに内功重視であることは間違いないので、きっと王向齊先生が八卦掌をヒントに武者修行で出会った他の武術を取り入れながら意拳を構成していったのではないかと考えられます。


 また、意拳は八卦掌の修練形式を、よりシンプルにしていったとも言えないでしょうか?


 ちなみに王向齊先生は「太極拳の動きや修練方法の無駄?」に対して「形骸化していて使えない」と痛烈な批判を繰り返しています。


 私は、太極拳には太極拳の良いところがあると思うのですが、実際に中国全土で戦ってきた王向齊先生としては、レベルの低い師範が使えない技術や無駄な修練方法について大家気取りをして教えているのが耐えられなかったのでしょう‥。


 しかし、八卦掌と意拳、両者ともにとらえどころのない武術ですね。


 この二つの拳術は、中国武術の精華、そして最高峰と言われるように境地的にもかなり高い武術だと思います。


 単純に言うと、


 中国武術の粋を集めたのが八卦掌や意拳、
 日本武術の粋を集めたのが合気道、


 ‥だと勝手に思っています。


 きっと両者共にそこが魅力なのでしょう。


‥完


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2016年4月4日月曜日

八卦掌と意拳、そして合気道(中)

 空手で例えると、剛柔流のサンチンや少林流系統のナイファンチ(鉄騎)は、誰が見てもほぼ同じです。


 また、形意拳の五行拳、十二形拳も個性はあるがほぼ同じ。


 通背拳、八極拳、太極拳‥、風格や速度の違いはあれど、演武を見たらほぼ「これは何拳!」と分かります。


 しかし、八卦掌はよく分からない。


 円をくるくる回る走圏だけは共通しますが、八卦掌なのに蹴りが主体の流派があるのはまだ許せるほうで、困ったことには地面を転げまわる流派まであったりする‥(笑)


 「これはなぜ?」


 結局、武名の高い董海川には入門者が絶えなく、しかも入門者は、既に道場主だったり、その道の大家といわれる人物ばかりだったそうです。


 このため董海川は、「各入門者が学んできた武術を演武させて、その武術を八卦掌の理合を基軸に再構成させ、そして走圏の法を伝えた」というのが真理のようです。


 ちなみに走圏の法とは、歩くタイプの気功法で道教の一派の修練法です。。

 
 武術的効果も高いと思います。


 結局、武術の理に合わないところを正してやり、武の道理を理解せしめたということでしょう。


 このため、蹴りの多い武術を学んできた入門者の流派には蹴りが多く、また、地面を転がる武術を学んできた入門者の流派は、地面を転がる技が残っているということなのです。


 さて、このような話を聞くと植芝先生と神道自然流空手開祖の小西康裕先生の逸話を思い出します。


 空手・古武道など様々な武術を修練してきた小西先生、有名な植芝先生に指導を受けることになりました。


 植芝先生の前で、空手の型を披露したのですが、植芝先生は納得しない様子‥。


 それから、植芝先生の示唆(体さばき)をヒントに型を見直し、再度植芝先生の前で演武することになりましたが、そこでようやく認めていただけたとのことです。


 これも、八卦掌開祖董海川の伝説に似ていますね。


 お二人ともそれだけ高い境地だったのでしょう。


 さて、面白いのが山岡鉄舟先生‥。


 自身が印可を受けた剣・禅・書だけでなく、落語家や男芸者(太鼓持ち)などにも指導しており、さらには、なんと明治天皇に帝王学まで授けています。


 凄い男がいたものです。


 こういう話を聞いて思い出すのが、仙台藩に伝わっていた抜剣(ぬぼこ)影山流の十九世である天野菊之助先生です。


 有名な天野先生に既に名の通っていた一刀流の剣客が入門することになりました。


 天野先生は、この剣客には、影山流の技は教えることなく、一刀流の型を一本一本演武させ、剣の道理に合わない部分を修正し、影山流の伝書を授けたといいます。


 国や時代が異なっても、一芸を極めた名人の見識は同じようです。


 資料が乏しいので断言はできませんが、新陰流開祖である上泉伊勢守信綱も同様な指導をされていたような感じがします。


 「ある一定の技(理合)の伝授をして、後は勝手にやんなさい」という風に見受けられる気がするのは私だけではないでしょう。


 さて、ある古武道の師範が言っていたのを思い出しますが、


 演武を見て「あの演武しているのは、○○師範のお弟子さんですね」と見透かされたら、「師範も弟子もつまらない証拠」と言っていました。


 極論ですので、このとおりには受け取れませんが、この師範が言わんとすることは、その師範の悪いところについて「本質的なことではない形式的なことを中心に教えていた可能性がある」こと。そして、弟子の悪いところは、「本質的なことを学ばずに師範の悪い癖を学んでいた可能性がある」ことだと思います。


 額面どおりには受け取りませんが、これも一つの見識だと思います。


 なお、下記のコラムは八卦掌の理解を深めるには、なかなか面白いことが書いてあります。参考までにどうぞ。

<参考>
http://www.h2.dion.ne.jp/~shokubak/baguazhang2.htm


‥つづく


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2016年3月28日月曜日

八卦掌と意拳、そして合気道(上)

 中国武術に八卦掌と意拳という新しい拳法があります。


<参考>
八卦掌
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%8D%A6%E6%8E%8C
意拳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E6%8B%B3


 特に学んだわけではないのですが、なぜかこの二つの流派に惹かれ研究を続けてきました。


 さて、この二つの流派の共通点が面白い。


 「型(形・套路)がない」のです。


 こう書くと「八卦掌はあのくるくる回る有名な型があるじゃないか?」と言われてしまいそうですね。


 でも本質は「型がない!」のです。


 八卦掌の各流派を比較したことがある方ならご理解いただけると思うのですが、創始者董海川から学び伝えたという型が円周上を歩くという共通点以外は全くと言っていいほど異なっているのです。


 代表的な八母掌という8本の型は、かろうじて1本目と2本目は似ている場合もありますが、3本目以降はまったくのバラバラです。


 解き明かす鍵は、同じく「合気道には型がない」と言った合気道開祖の武術の本質論に行き着くようです。


 しかし、こう言うと、「合気道には、いつもやっているたくさんの型があるじゃないか!」


 ‥とお叱りを受けそうですが、本質的には型はなく「理合」しかありません‥。私はそう思っています。


 理合とは道理です。
 

 他の表現では、「勝つ道理、勝つ法則」のこと。


 合気道の技術の一つひとつは、あくまでその理合の表現でしかありません。
 

 このため、昔の師範の技は「同じ人にならったと思えないほどバラバラ」で、凄く個性的ですね。


 しかし、最近は本部系統の動きが多くなっているので、それぞれの師範系列独特の個性は失われつつあるようです。


 少し寂しい気もしますが、個性とは一つの癖でもありますので、このことが「良いことなのか? 悪いことなのか?」と聞かれるとて少々難しい問題だと思います。


 よく「合気道は剣から生まれた」、「合気道は剣と槍の動き」、「合気道は剣を持てば剣、杖を持てば杖、あらゆる武の再現が可能である」等々、剣などの武器術についての共通性が語られます。


 基本的に日本武術は、剣の身体運動を機軸に展開してきたので、もちろん動きは似ています。


 ‥がしかし、合気道の動きの「全て」が武器術の動きと一致しているとは思えません。


 以上のような理由から先進的な師範方が「剣・杖の型」などを合気道の身体運動から開発したり、他の武道(居合、神道夢想流など)を取り入れたりして疑問点を無くそうと努力されています。


 面白い取り組みですよね。


 私も各師範の講習会等に参加して学んだことがありますが、解釈も個性的でたいへん勉強になりました。


 しかし、何かしっくりしない自分がいました。
 違和感と言っていいかもしれません。


 その後、私も様々な古武道を学び剣・槍・その他の武器術を学びましたが、合気道と一致する部分もあれば、そうでない部分も多く、正直、迷いました。


 しかし、境地が高いといわれる古武道流派(剣・槍など)との共通点はやはりある。


 それは「理合」です。


 勝つ道理だけは共通しています。


 このようなことから、合気道は剣の身体運動から生まれたのではなく「合気道は、日本武道の粋である剣と槍の理合から生まれた」というのが正しい表現ではないかと考えています。
 

 結局、合気道というものは「理合だけの武術である」というのが私の考えです。


‥つづく



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2016年3月22日火曜日

喜び

 この前、「嬉しいことといったら何?」


 …と聞かれて、


 「今の心境では、『新たな刺激』なのかな…」と答えました。


 決していい加減に答えたわけではありません。
 きっと感動するようなことに巡り合うことが少なくなったからだと思います。


 この新たな刺激とは、例えて言えば、「考えても見なかった新たな視点を与えられたような時」です。


 最近では、中国武術の八卦掌の本を何気なく読んでいたら、通常の武術では、「我 →← 敵」の関係だが、八卦掌の場合は「我」の心身を相手に限りなく「敵」に合わせていくことで、「我と敵との関係が無くなる‥」と台湾の武術家が話されていました。


 「んっ‥、これって合気道?」


 魂が喜ぶ(震える)瞬間と言えばよいのか?


 こういう瞬間が一番嬉しいです。

 
 うっ、まずい‥、書いていて恥ずかしくなりました。


 ‥自分は相当な変わり者なのでしょうね(笑)


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2016年3月7日月曜日

良いことをやりすぎるのは悪いこと‥

 中国語のことわざで、「うー ちぃ びぃ ふぁん」。


 どんな字を書くのか分かりません(笑)


 意味は、「良いことをやりすぎるのは悪いこと‥」だそうです。


 納得!


 確かにそういう場合もありますね。


 少し考えさせられました。






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2016年2月29日月曜日

易筋経

 私が大事にしている呼吸法の一つに「易筋経」があります。


 はじめは中国拳法を学んでいた先輩から教わりましたが、その後は、興味にまかせて様々な流派を独自に研究してきました。


 この易筋経(えききんきょう)は、達磨によってインドからもたらされたと伝えられる健康法ですが、ゆっくりとした腹式呼吸による深呼吸と、それに合わせて行う運動により、筋肉と内臓を鍛錬し、体調をより良く整える効能があると言われています。


 また、少林寺の僧侶が健身のために武術を修練して質を高め、最終的に武術の鍛錬方法として到達し、清代には、易筋経を手に入れるため、武術の各流派は互いに戦って殺しあったとか‥。


 健康法としての効能は、筋力の増強、内臓の強化、心肺機能の強化、神経系統の安定、更には、姿勢が良くなる、血流がスムーズに、集中力が高まる、運動競技力の向等々、様々な効果があると言われています。


 それはさておき、「本物の武術気功を体感できる」との表題で以下の文がありましたので参考までに紹介します。



 「若かりし頃(二十歳くらい)、たまたま本書を手にして序文の気功に関する文章にすっかり陶酔し、本書に記されている易筋経、十二段錦などを日々実践した。当時まだ学生で暇だったので、鍛えているうちにすっかりブルース・リーのような体つき・性格になったのを覚えています。


 易筋経は、主に体を鍛えるための体操で、ボディビルダーのようなスピードの遅い”重たい”筋肉を作るのではなく、カンフーのようにスピードと”気”が入ったパンチを出せるようになります。また、格闘技やスポーツ、力仕事の時に効率的な体の動きが無意識に出来るようになります。気が満ちて喧嘩っ早い性格になってしまうので、一般のサラリーマンのような方がフィットネス気分でやる場合には、ハマリ過ぎないように気をつけた方がいいでしょう。鬱っぽい人や慢性疲労で悩んでいる人は、少し易筋経でリフレッシュすれば、気分がサッパリして気が充実し、若々しい気分を取り戻せます。


 いずれにしても、この本の内容のエクササイズが、日本国内で一般向けに伝えられている、ただゆっくり動いて呼吸したりする気功とは決定的に違うところは、”呼吸圧迫”を利用して気を押し流して鍛錬することかと思います。格闘技や武術に詳しくないので、その方面で当たり前の術なのかどうかは知りませんが、一般の方がこの本の易筋経の鍛錬などをはじめたら、本当にすぐにうつ病など吹っ飛んでしまうのではないかと思うような精悍な精神とキレのある体を得ることが出来るように思えます」。


 「この易筋経によりかなり体が鍛えられていたときには、何かにぶつかったり、尖ったものが肌に刺さったりしても、痛みが『痛い!』という感覚ではなく、単なる強い刺激が来た!という感覚に変わり、痛くないのです。単なる刺激なので、痛みが尾を引きません。また、ケガで出血してかさぶたになっても、子供の頃のように傷口の治りが早かったのを覚えています。


 この辺りは、気骨の無い平凡な現代青年でも易筋経で鍛錬するだけでここまで肉体と精神をきたえることが出来てしまうというのは、まさに少林寺最高峰の秘伝の鍛錬法なのではないかと思っています。


 そして、この本で紹介されている易筋経は、著者自身もかなりの中国武術の達人ですし、本格的に鍛えればかなりの域に達することができそうですので、少林寺秘伝の本物の方法に近いのではないかと思っています」



 ‥まぁ、「少し大げさ」かもしれませんが、大枠ではそのとおりだと思います。


 次に気功導引法という書物に易筋経についての説明がありますので抜粋して紹介します。


 ちなみにこの本は中古で現在28,000円(amazon)‥、凄いですね。




気功導引法より

 「易筋経は、少林拳のような外家拳法の気功を開拓するのに最も効果的な気功法である。易筋経を日課として一年間も続けると、力を出す時に思わず気が局部に集結されて気功の威力を発揮することができるようになる。


 また、万病不可侵の体になるだけではなく均整のとれた体格を作り上げてくれる。易筋経で鍛え上げた筋肉は、美容のためだけではなく格闘技で迅速な動作と強力なパンチを約束してくれる。


 易筋経は、筋肉・骨格を改善する気功体操として発育盛りの青少年にとって最も貴重な健身術である。青少年が易筋経を日課として半年も続けると歩く時に肩で風を切り、ズボンの裾が風を巻き起こすような感じを人に与える。虚弱な児童が易筋経を日課として一年も続けるとすっかり丈夫な体質に生まれ変わってくる。


 中年になってから易筋経の練習を始めると女性は『まだまだ若い』と体で感じてくるし、男性は倦怠感がすっかり消え失せて鬱病と全く縁のない体質になってしまう。


 しかも易筋経の十二種類の動作は七分間で全部が終わるし、動作が非常に簡単で本書の図解写真を見て誰でもすぐ習得できるうえ、練習する場所はタタミ一枚の面積で足りるので、特に高く評価をしたいものである」


 「足腰がだるい、肩に力がない、元気がない時に易筋経を一通り行うとすぐさま元気いっぱいの様相になってくる。


 中年に入って常に倦怠感を感じる人が易筋経を日課として一ヶ月も続けるとすっかり元気になり、三ヶ月も続けると若返ったことを体で感じてくる。


 治りにくいと言われている鬱病を治すのに易筋経は最も優れた効果を持つ。


 虚弱な感じを他人に与える青少年が易筋経を一年ぐらい日課として続けると、骨格・筋肉と目の光がすっかり変わってくる。特に力が強くなることに本人も友人たちも驚くものである。


 長年易筋経に親しんでいると易筋経は全身に気を張りめぐらすために巧妙に設計された気功法だと感じてくる。


 仕事をしても運動をしても勉強をしてもすぐに疲れる人は、気力がない人である。易筋経はこのような人を立ち上がらせるために設計されたことを強調したい‥」



 実際に“基本どおり”にきっちり行えば、力がみなぎってくる感じが生じ、活力を生じる呼吸法です。


 どんなに疲れていても、早朝に易筋経を行うと「よし! やるか!」という気になるから不思議なものです。


 また、この呼吸法を続けると、筋肉がゴムになって、グニグニ引き延ばしたり縮めたりしているような感覚が生じます。これも不思議ですね。


 ただの呼吸法ではなく、しかも筋トレでもない、「筋・腱伸ばし呼吸法」という表現が適当なのかもしれません。


 最後に‥、気功法や呼吸法の共通点として、我流ではなく「正しく正確に行うことが必要」です。
 そうでないとただの呼吸と同じで、ひどい場合には、逆効果で悪影響が生じます。


 正しい方法をキッチリ学びましょう。
 正しい効果は、正しい方法からしか生じません。


 この呼吸法は財産です。
 しっかり身につけて離さないようにしましょう。


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2016年2月22日月曜日

梅干し番茶のススメ

 正月、新年会と飲み会等が引き続いて疲労が溜まっていませんか?

 暴飲暴食で、血液、内臓の調子が悪くありませんか?

 そんな時には、空きっ腹に「梅干し番茶」! をオススメします。
 まぁ聞いてください。

 ところで、政界・財界・皇室までもが頼りにしており、戦後の歴代総理大臣に「日本の黒幕はだれか?」と聞けばほとんどの首相が名前を挙げたという大人物…、安岡正篤氏をご存知ですか。


<参考>
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E7%AF%A4


 その方が薦める養生法が「梅干し番茶」!
 体調の優れない時、健康維持にオススメします。



 安岡正篤氏は、幼少の頃から体が弱く、母に幼いころから梅干し番茶を飲まされて健康を保ったということから、講演等で梅干し番茶の効能についてよく話されたようですが、下記に詳しいので抜粋して紹介します。


<抜粋>
― 梅干し番茶について ―
 たとえば、朝、我々が学校へ行こうと思うと、母が「梅干に番茶を注いで飲んで行けといって、その中に醤油を少し落としてくれます」、それを初めは旧弊なものには困ると考えていたものであった。ところが、ちょうどその頃、奈良に漢方の名医がありましたが、私があるときこの先生のところへ行って梅干のことについていろいろ話を伺ったが、先生から、梅干は「医者殺し」といわれるほど有難いものだと聞いた。東洋の学問と同じことで、東洋の人はあまり説明を好まない。

 結論だけを言う。西洋の人は道程だけを言って結論を言わない。先生は梅干を「医者殺し」と言ったが、その頃はおかしいことだと思ったけれども、今日になって考えてみると、全くです。梅干は医者殺しで、これを食べると、医者の商売は上がったりになる。近年、梅干の研究報告がだんだん出ますが、実行して感心します。梅干は胃腸を消毒し、肝腎や心臓を強くする。したがって眼をはっきりさせる。特に頭の毛を黒くし禿げを防ぐというと、ちょっとおだやかでないが、とにかく甚だ効能がある…。

 「運命を創る」安岡正篤(プレジデント社)より


 この安岡正篤氏、朝食前に梅干番茶をかかさず飲んでいたそうです。

 子供の時に祖母から教わり、健康維持のためにずっと続けていたとか…。

 ちなみに作り方と飲み方はいたって簡単!

 梅干(肉が厚くて古いほど良い)を湯呑に入れ番茶を注ぎ、無添加の醤油(数滴~大さじ1杯程度)をお好みで入れて、梅干しをつぶしながら暖かいうちに飲むだけ。なお、醤油は入れない人も多いらしいです。


 梅干しは、化学調味料等は入っていない物がオススメです。
 化学調味料が入っているものでやってみると分かりますが、‥なんか変な味(笑)がします。昔ながらの作り方の梅干しがベストです。

 飲むタイミングは、起床時、若しくは朝食前に飲むのが良いようです。
 どちらにしろ空きっ腹が一番のようです。

 ちなみに私は、醤油は入れていません。以前、手造りで無添加の醤油を購入し試してみたのですが、どうも口に合わず不味く感じますので止めました。

 また、本物の番茶(三年番茶とか)がよいのかもしれませんが、私は普通の緑茶を使用して無理しない程度に続けています。

 さらには、昆布茶があれば少し加えるとより美味しくいただけます。
 人によっては、昆布を1㎝角にカットしたものを加えたり、えびすめを入れたりと色々と工夫されているようです。

 不味いと続かないので、効果が減らない程度に自分流に工夫されるとよいかもしれません。

 なお、安岡氏を真似て、酒食の多い歴代総理を始めとする政治家・経済人はこれで健康を保っていたようで、以前、政治家小沢一郎氏の元秘書が書いた「悪党 小沢一郎に仕えて」(朝日新聞出版)を読みましたが、小沢氏も起き抜けに必ず「梅干し番茶」を飲んでいることが記されていました。

 最後に梅の効能について、

 梅の効能として、主なものとして、動脈硬化の抑制、血液浄化作用、抗酸化活性作用、疲労回復、胃癌予防、高血圧の抑制etc.…、が挙げられるようです。

<参考>
http://www.umekounou.com/effect/
http://www.healthy-mylife.com/shokuhin/archives/2006/12/post_99.html

 さて、安岡正篤氏は、「梅干の酸は胃に入ると胃の酸化を防ぎ、全身が弱アルカリ性になる。仮にがん細胞が体の中に入ったとしても、体が弱アルカリ性であれば、全く作用しない。だから毎朝梅干番茶をやっておれば、癌だの、何だの、といって心配する必要は少しもない!」と言い切っています。

 なお、安岡氏は、「梅干番茶にはノーベル賞の副賞くらい出しても良い」と絶賛しているとか。

 まぁ理屈はこれくらいにして、起床時に熱々を飲んでみてください。

 こんなに美味い♪飲み物はありませんよ。
 特に酒を飲んだ翌朝は、身体に深く染みわたります。

 若い方には、分かりにくい味かもしれませんが癖になりますよ。

 癖になったらこっちのもの…。

 梅干しで予防医学、ぜひ試してみてください。



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2016年2月15日月曜日

意思あるところに道は開ける

 映画「ビリギャル」を観ました(笑)


 私のような年齢の者が見る映画ではないかもしれませんが、分かりやすいストーリーで好感が持てました。面白かったです。
 受験組のモチベーションを上げるには良い映画ではないかと思いました。

 しかし、当会にも大学と高校の受験生が数名在籍していますので、単なる娯楽映画とも思えず(笑)、多少は緊張感を覚えました。みんな頑張っているかな‥。

 さて今回、心の琴線に触れたのは、

 「Where there's a will, there's a way」
 (意志あるところに道は開ける)

 リンカーンの名言。
 学生時代、政治家を目指していた友人が好きだった言葉です。
 久しぶりに思い出しました。

 受験のため休会しているみんなは、このコラムを見ている暇はないでしょうが‥、きっと、あともうひと踏ん張りです。

 後悔しないよう最善を尽くしてください。

 楽しみながらガンバレ!!



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2016年2月8日月曜日

職人技の秘訣は鍛錬(福島県郡山市の三春人形職人)

 福島県郡山市に「三春人形」という張り子の人形がありますが、随分前にテレビでその姿を拝見し一目惚れ‥、その粋で洒落た姿にどんな方が作っているのか興味を持ちました。

 この人形は、江戸時代に三春藩で作り始められたそうで、歌舞伎の演目や風俗などを張り子の技を駆使して写実的に表現されており、江戸時代には藩主の庇護のもと、芸術の域に達した作品が数々作られて幕府や他藩への贈答品にもなったとのこと。現在まで、縁起物として古くから親しまれてきたようです。


 調べてみると、江戸時代から、作り手は城下町を離れて普段は農業を営む郷士達だったようで、草深い田舎でこのように粋で洒落た人形がどうして誕生したのか不思議に思っていました。

 さて先日、その三春人形の職人で16代目橋本アサさん(94歳)が、今も現役の職人として紹介されていました。

 17代目の息子(69歳)が、お世辞抜きで今も敵わないというこのおばあちゃんの元気の秘訣は「鍛錬!」、そして「毎日の体操」と語る‥。



 作業の合間に握力を鍛えたり、体操したりされているそうです。
その結果、「元気なんだ。どこも痛くない‥」、とのこと。映像のその顔も血色がよく確かに若い!

 「(鍛錬・体操を)毎日してんだよ。忘れないんだよ。座ってでもできっから、今日は面倒くさいな、疲れているなと思ってもやらなくちゃ‥」。


 我々の世界の鍛錬では、大東流の佐川幸義氏が有名ですが、やはり晩年まで神技を披露されていました。

 「身体は消耗品」、‥と考えてしまうと、できるだけ身体を壊さないように「適度な運動以外はやらないほうがいいのかもしれないなぁ‥」と思ってしまいますが、どうも違うようです。

 「積極的に鍛える」、この姿勢が大事な気がします。
 維持しようとするのではなく「鍛える」!

 結局、この「気力」が最後にものをいうのかもしれません。



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2016年2月5日金曜日

道場長インタビュー集1~5

 当会の広報部作成によるインタビュー集です。

 ぜひ、ご覧ください


 道場長インタビュー1


 道場長インタビュー2
 

 道場長インタビュー3


 道場長インタビュー4


  道場長インタビュー5





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2016年2月1日月曜日

寒といふ 字に金石の 響きあり

 大好きな蝋梅も満開。芳しい香りを放っています。
 この寒さの中でも確実に春が近づいているようですね。


 さて、話は変わりますが、正しいと思うことを貫いていくには、以下の三つが必要だと感じています。

 第一に、己に打ち勝つ精神力(克己)、辛いことを楽しむ精神力、不運な時期を自身を鍛える絶好の機会と考えることができる精神力、

 第二に、強健な身体、

 第三に、敵に打ち勝つために臨機応変できる機敏さ、または目的を達するための技術、つまり兵法の練磨、

 武道が、そのための修行としてあるのだとすれば、武道修練の目的は、第一に精神の練磨、第二に身体の鍛錬、第三に技術の修練にあるべきだと思います。

 また、生きていれば、当然、嫌なことがあります。理不尽な仕打ちを受けることもあります。さらには、不当な圧力を受けることや正解のない回答を追い続けねばならないこともあります。


 そのような時に頼りになるのは、やはり「己に打ち勝つ精神力(克己)」です。合気道的に言えば「吾勝」(あがつ)‥。

 「吾勝」とは、利己的な我執や我欲を克服し、己にうち勝つ強い信条のこと。

 己に打ち勝つためには、「辛い時期を楽しめる心意気」が必要です。


 「寒といふ 字に金石の 響きあり」 虚子


 その精神力をこの「寒」を活用し、磨いていってほしいと思います。


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